2024年08月08日
自分の気持ちをもっとも理解している存在は、誰でもない「自分自身」のはずですが、そんな自分の気持ちがわからないという感覚に陥ることがあります。その理由と対処法について考えてみます。
自分は確かにここに存在するのに自分の気持ちが「わからない」とは不思議ではありますが、決して異常な感覚ではありません。むしろ、人が成長する中でいつか必ず直面する壁といってもいいかもしれません。私たちは人と会話する際、頭の中で思い浮かんだことを整理してまとめ、相手にわかりやすい形で言葉にして伝えようとします。ここまでも十分に複雑なやりとりです。
文学やアートに触れた時、言葉にならない気持ちが湧き上がる感覚を経験したことはありませんか?どのような人にとっても自身が感じていることすべてを言葉にするのは不可能です。そこには必ず取りこぼしているニュアンスや感情があります。そのようなつかみどころのないものを、文章や造形で表現しようとするのが作家やアーティストなのかもしれません。
日本語に「木漏れ日」という言葉があります。森や林の中で木の枝葉の間から差し込む日の光を指す言葉で、キラキラと移り変わり、一瞬として同じではない光と影の美しい情景を思い浮かべる人も多いでしょう。
英語にはこの様子をひと言で表現できる言葉がありません。文章に翻訳して説明することはできても、当てはまる「言葉そのもの」が存在しないのです。それと同様に頭の中で生まれた直感的な心の動きについて、ずばりそのものを表す言葉がないとしても不思議ではありません。
日本語は象形文字という成り立ちから文字そのものが単語に結びつくため、もともと意味を込めやすい言語ではありますが、自分の気持ちを一滴もこぼさず言語化しようという試み自体が無謀ともいえます。言葉には限界があると知っておいてください。
それでは、自分の気持ちがわからないと感じる理由について考えます。
自分の気持ちを表現するための言葉をたくさん持っていると、それだけで不思議と心が落ち着くものです。そこに存在する感情に“もっとも近い言葉”を自ら導き出したという感覚は自分自身への信頼感につながります。
逆に、ネガティブな気持ちになった時にそれを表現する言葉を持たず、自分の気持ちをうまく人に伝えることができないと、もどかしい気持ちが残ります。実際に語彙力を鍛えることで自己コントロール感が高まり、ストレスの軽減につながるという研究結果もあります。
「むかつく」「やばい」などの言葉は汎用性が高くとても便利ですが、本を読んだり映画を観たりしてバリエーションある言葉の引き出しを整えておくと、いつも自分の気持ちにぴったりな言葉が自然と導き出せるようになります。
「語彙力を鍛える」というと難しく聞こえるかもしれませんが、新しい言葉を獲得することは世界の広さを知ること。長い人生を歩む中での頼もしい相棒となってくれるはずです。
忙しすぎて自分と向き合う時間が足りないか、あるいは仕事や勉強で疲れ切ってしまい、それ以外のことに気をかける体力が残っていないのかもしれません。日々の生活に追われて「いつも何かをやっている」という状態では、自分自身とじっくり向き合うのは難しいでしょう。
人が心身ともに健康的に生きるためには理性と感情のバランスが大切です。どちらかにかたよった状態が長く続くと心のバランスが保てなくなります。
仕事や人間関係などのストレスは程度の差こそあれ、誰もが持っているもの。ただ、それが大きすぎると逆に「自分は大丈夫」と考え、ストレスに無自覚になってしまうケースがあります。物事を前に進めようとして、無意識に気持ちを抑え込みながら日々を過ごしている人もいるでしょう。
長い間、大きなストレスにさらされていると感覚が鈍感になり、微細な気持ちの変化を感じ取ることができず、心と体のSOSを見逃してしまう恐れがあります。
気持ちを表現したり、感じたりする行為そのものに抵抗がある人もいます。幼少期に厳しくしつけられた子供は自己否定感が高まり、気持ちを抑え込む癖がついて感情をあまり表に出さなくなります。「本当の気持ち」はそこにあるにもかかわらず、その存在を無視して真正面から向き合うことを拒否してしまうのです。
臨床心理士でカウンセラーの玉井仁さんは著書で、感情に対する捉えかたの問題について解説しています。
「人は成長する過程で、感情を身につけていくとともに、理性も身につけていきます。そして理性によって、感情に対する意味や、感情を感じる理由を見出していきます。つまり、『これは悪い感情』『この感情を感じるということは、私が弱いということだ』などと、感情に対するレッテルを貼っていくのです。
そのようなレッテルや感情に対する思い込みは、過去の体験とつながっていることが多く、その状況を理解するために必死に獲得してきたものとも言えます。
Aさんは、母親から『あなたが怒るのはあなたが悪い子だからです』と言われ続け、怒りという感情を体験するたびに、『私は悪い子なんだ』と思い続けました。その感情を感じるのが妥当で、アラームとして適切に機能しているときも、いつしか自分を抑え込まないといけないと考えてしまっていました。
そして、その感情を感じないようにするあまり、アラームは本当に小さな音になり、ほとんど聞こえなくなるまでに抑え込まれてしまったのです」
いつも周囲の反応や評価が気になり、自分が他人から「どう見られているか」ばかりを気にしていると、肝心の自分の気持ちがモヤモヤと霧がかかったように見えなくなってしまいます。自分が好きなことや大切にしている時間など、本来は他人が介入しないような場面にまで他人の視線を持ち込んでしまうのです。
他人目線のフィルターをかけたまま生活をしていると、人生の指針が自分軸でなく他人軸に置き換わり、いつしか自分の気持ちがずいぶんと遠いものに感じられてしまうでしょう。
自分の気持ちがわからなくなってしまった際、私たちはどのように対処すればいいのでしょうか?
自分の気持ちとは自らの「心の声」です。それは利害や損得勘定を抜きにした素直な気持ちの発露ですが、当の本人に心の余裕がないと聞き逃してしまう小さな声でもあります。
現代人は老いも若きも時間に追われて多忙な日々を送っていますが、時にはじっくりと自分に向き合う時間も大切です。自宅のリビングやカフェ、図書館など心からリラックスできる空間に身を置いて、最近の自分に起こったことを振り返ってみてください。
その時の自分の行動や発言と、実際の思いに齟齬はなかったか?もしあったのなら、改めて「本当はどうしたかったんだろう」と問いかけてみてもいいかもしれません。そこで自分の気持ちを確認できたら次の機会にも活かせます。
そもそも気持ちとは、頭の中にどのように存在しているのでしょうか?きっと綺麗に整列して棚に収まっているわけではないでしょう。おそらく上も下もない無重力の空間で、ふわふわと自由にただよっているのではないでしょうか。
それは、宮崎駿監督の映画『君たちはどう生きるか』で主人公が“下の世界”で出会ったワラワラのように、まだ明確な意思を持たない生まれる前の魂のようなものかもしれません。あるいはルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に登場するヒツジが営む雑貨店のように、品物をよく見ようとすると、なぜかその棚だけが空っぽになってしまうという不思議な現象かもしれません。
「日記を書く習慣」はある意味、空中に浮かんだ気持ちをつかまえて、ラベル(名前)をつけ、あるべき場所に分類する行為。それを繰り返すうちにある種の秩序が生まれ、整理されていく――そのようなイメージです。
誰に見せるわけでもありませんから、着飾った言葉を使う必要はありません。その日、あったことを振り返りながら、そのときの気持ちや感情にフォーカスしてください。
日記を書くのと同様、人に話すと心が整理されることがあります。
会話は気持ちと言葉をつなげて他者に伝えるアウトプットの訓練ですから、感情を表現する語彙を増やすきっかけにもなります。日記で整理された気持ちを、さらに口に出すことで輪郭を強固にしていくイメージです。会話の相手は親しい間柄でもさっき会ったばかりの人でも構いません。
ひとりで思い悩んでいると、ひとつの考えに固執して「これ以外のやりかたでは意味がない」という思考に陥りがちですが、第三者の新たな視点に触れることで、まるで氷が溶けるように本人も驚くほどのスピードで問題が解決するケースがあります。
周囲の視線や社会的な評価を気にせずに、できるだけ自然体で過ごすことを意識してみましょう。職場や学校などのパブリックな場所で自分をさらけ出すのは難しいかもしれませんが、それとは別に自然体でいられる私的な空間や人間関係を持っていると、自分が自分であることが許されたように感じられます。
鳥が羽を休めるための木のことを“止まり木”と呼びますが、人間にもそのような場所が必要なのかもしれません。せわしない日常から離れて少しだけ立ち止まり、ありのままの自分と向き合う――。そのような存在がひとつでもあれば、人は心に小さな灯をともして生きていけるのではないでしょうか。
文学や芸術にはさまざまな人生のヒントが散りばめられています。作家やアーティストはある意味、気持ちをかたち(作品)にすることに人生をかけるプロフェッショナルな人々ですから、作品に触れることで自分の探しているものの“とっかかり”がつかめるかもしれません。
作品を通して、これまで自分が感じたこともないような強い感情に出合うこともあるでしょう。人生の節目ごとにその時代の自分を支える大切な作品が持てると、人生はより豊かなものになります。
自分の気持ちがつかみきれない状態が長く続く場合、背景にメンタルの不調が隠れている可能性があります。自分の気持ちがわからないという感覚はうつ病や不安障害、失感情症などで現れる症状でもあります。
うつ病になると気分の落ち込みから、好きだったものに対しても興味が湧かなくなり感情が“麻痺”したような感覚を抱きます。不安障害は過度の不安や心配が続き、日常生活に影響を及ぼすことがあります。
失感情症は病気ではありませんが「アレキシサイミア」とも呼ばれ、自分や他人の感情を正しく認識して表現することが難しくなる性格特性です。感情認識の問題だけでなく共感性にも欠けるため、周囲の人とうまくコミュニケーションをとることができません。
つらいのに誰に相談したらよいか分からないという方は、以下の厚生労働省の相談窓口を利用してみましょう。
https://kokoro.mhlw.go.jp/agency/(働く人のメンタルヘルス·ポータルサイト「こころの耳」)
いちばんの味方であるはずの「自分」の気持ちがわからない状態はとてもつらいことでしょう。この状態がずっと続いたら……と考えて、夜も眠れないくらいの不安を抱いている人もいるかもしれません。適切な対処をとれば精神的なコントロール感は取り戻せます。休息をとり、自分自身を見つめ直すことから始めてみてください。
\ この記事の監修者 /
ニューモラル 仕事と生き方ラボ ニューモラルは「New(新しい)」と「Moral(道徳)」の掛け合わせから生まれた言葉です。学校で習った道徳から一歩進み、社会の中で生きる私たち大人が、毎日を心穏やかに、自分らしく生きるために欠かせない「人間力」を高めるための“新しい”考え方、道筋を提供しています。
ニューモラルブックストアでは、よりよい仕事生活、よりよい生き方をめざす、すべての人に役立つ本や雑誌、イベントを各種とりそろえています。あなたの人生に寄りそう1冊がきっと見つかります。
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