思いやりとは?思いやりのある人・ない人ってどんな人?

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「思いやりって、どんな意味?」

もし人にそう聞かれたら、あなたなら、なんと答えますか? 誰もがなんとなく“いい言葉”として使っている「思いやり」。今回は、その意味や身につける方法や効果などについて、考えてみましょう。


目次

思いやりとは?

「思いやり」という日本語は、「思う」と「遣(や)り」という語を合わせた連語です。「遣」は「遣唐使」とか「派遣」という熟語で使われるように、「つかわす/差し向ける」という意味を含んでいます。つまり「思いやり」とは「自分の思いや気持ちを(誰かに)差し向ける」という意味合いの言葉といえます。
「差し向ける」といっても、思いや気持ちは、自分の体から取り出して荷物のように相手へ送り届けることはできません。

心の中で相手の顔を思い浮かべ、「あの人は今、何を望んでいるだろうか」「自分がもしあの人の立場だったら、どんな気持ちだろうか」と想像する。さらに、その想像をもとに気を遣ったり、言葉をかけたり、手を差し伸べたり、励ましたり、共感したりと、思いのこもった行動をとることが「思いやり」だといえるでしょう。

思いやりがない人の特徴とは?

「今度、新しく入ってきた〇〇さんは、とにかく思いやりに欠けた人らしいよ」

もしそんな噂を耳にしたら、あなたはどうするでしょうか。きっと「面倒な人がくるんだな」と身構え、距離をとろうとする人がほとんどでしょう。

チームプレーや協調性が重んじられる日本において、とかく「思いやりがない人」は敬遠され、集団の中で孤立しがちです。 では、どんな人が「思いやりがない人」なのでしょうか。その特徴を見ていきましょう。

自己中心的で視野が狭い

「思いやり」がない人は、自己中心的で周りが見えません。
何事も「自分がいちばん正しい」「自分が幸せなら周りはどうでもいい」という自分本位な考えのもと、目先の利益や快適さに突っ走るタイプです。視野が狭く「こんなことをしたら相手はイヤな思いをしないだろうか」「迷惑にならないだろうか」と想像することが苦手です。正義感が強すぎる人、思い込みが激しすぎる人も、周囲からは「自己中心的」と見られがちなので、要注意です。

責任感が弱く他人に流されやすい

周りを気にしすぎる人も「思いやりがない人」と見られる場合があります。
周りの顔色をうかがいすぎて、いつまでも答えを出せない優柔不断さも、度が過ぎると「待っている人のことを思いやれない人」と周囲には映るもの。自分の責任を棚に上げて、むやみに他人に同調する「他人任せ」な態度も、周りを不快にさせます。自分より他人を優先する考え方は本来、「思いやり」につながるものですが、他人に流されすぎるのは禁物です。

自分を客観視できない

思いやりがない人は、相手側の視点から自分を客観視し、考えを組み立てることが苦手です。
例えば、大切な人をもてなす時、思いやりのある人は、相手の求めるものを、相手が求めるより前に察知し、対応することができます。「もし自分が相手の立場だったら、今、何をしてほしいだろうか」と自分の置かれた状況を客観的に見極め、サッと行動に移すことができるのです。一方、客観視ができない人は、相手の困りごとやニーズに気づくことができません。他人の意見に耳を傾ける姿勢も不足しがちです。

思いやりをもつ方法とは?

「思いやり」のある人になるためには、どうすればいいのでしょうか。大きく3つの方法があります。

1日の中で「人を思いやる」時間を増やす

程度の差はあれど、人は誰しも「人の役に立ちたい」「困っている人を助けたい」という「思いやりの心」を持ってはいるもの。
しかし、そういう心がありながら実際の行動につながりにくいのは、なぜなのでしょうか。
そこには2つの理由があります。

1つは、自分の中の「思いやりの心」をうまく引き出せていないから。
もう1つは、他人より自分の欲求や利益を優先する「利己的な心」の暴走をうまくコントロールできていないから、です。例えば、自分が乗っている電車へ、赤ちゃんを抱いた女性が、小さな子供の手を引いて乗車してくるのが見えたとします。その時、「困っていそうだ。自分が座っているこの席を譲ろう」という「思いやりの心」が働きだすと同時に、「今日は疲れているし、自分が降りる駅まで快適に座っていたい」「自分よりもっと席を譲りやすい他の誰かが譲るべきだ」という「利己的な心」も働き、正反対な2つの心の間で葛藤が始まります。
そこで「思いやりの心」が優勢となれば、あなたは実際に席を譲るでしょう。一方、「利己的な心」が勝れば、席を譲らずに傍観します。
電車の例に限らず、物事が順調に進んでいるときには「思いやりの心」を活発に働かせやすい一方、自分の意に反したことが起きると、瞬時に「利己的な心」が優勢になります。つまり、常時「思いやり」のある行動ができるようになるためには、順調な時以外にも「思いやりの心」が積極的に働くよう、日ごろから意識し、心を鍛えていく習慣が欠かせません。
その習慣の手がかりとして「無財の七施」をご紹介します。財産がなくても他人に施しを与えることができる七つの方法が示されています。

  一、眼施=好ましいまなざしをもって他人を見ること。
  二、和顔悦色施=にこやかな和らいだ顔を他人に示すこと。
  三、言辞施=他人に対して優しい言葉をかけること。
  四、身施=他人に対して身をもって尊敬の態度を示すこと。
  五、心施=よい心をもって他人と和し、よいことをしようと努めること。
  六、床座施=他人のために座席を設けて座らせること。
  七、房舎施=他人を家に迎え、泊まらせること。
  (参考=中村元著『広説佛教語大辞典』東京書籍)

 
心を鍛えるといっても特別なトレーニングは必要ありません。小さくささやかなことでいいのです。毎日の生活の中で、こうした周囲への「思いやり」を発揮できる時間、回数を意識して増やしていきましょう。その積み重ねによって、おのずと「利己的な心」は弱まっていきます。

1日の終わりに「振り返り」の時間をもつ

人を思いやる第一歩は「相手の立場に立つ」こと。それは、その場の状況や自分の立ち位置を「客観的」にとらえ、相手のために自分は今、何ができるかを具体的に想像することといえます。キーワードは「客観視」。まるで幽体離脱をしたかのように、自分自身を上から見るような視点です。とはいえ、幽体離脱のトレーニングをするのは現実的ではありません。

そこで自分を客観視するトレーニングとして、帰宅後や就寝前に、その日の自分の心と行いを振り返る方法があります。自分と静かに対話するイメージです。特別な器具などは必要ありませんが、集中できる場所と時間を選びましょう。就寝前に床に入って数分振り返る時間を持つというのもおススメです。
振り返りは①うまく人を思いやれたこと、②思いやりの心は働いたが、行動には踏み出せなかったこと、③人を思いやったつもりが、相手にうまく受け取ってもらえなかったこと、などです。うまくできたことは明日も繰り返せるように、うまくいかなかったことは原因を振り返り、明日はできるように。考えて行動し、振り返って、改善する。サイクルを回しながら、思いやりを習慣化していきましょう。

視野を広げ「気づく力」を高める

日ごろから自分中心に物事をとらえていると視野が狭くなり、相手が何を望んでいるか気づけなくなるもの。自分中心の考え方から離れることで、視野は広がります。そのためのキーワードは「感謝」です。
自分中心の考え方の人は「自分が人にしてあげたこと」ばかり数えがち。そうではなく「自分が人からしてもらったこと」も意識して数えてみましょう。自分がしてあげたことと同じか、それ以上に、人からしてもらっていることに気づくはずです。支えられて生きている。その気づきから生まれる「感謝」のエネルギーこそが、自分以外の誰かを「思いやる」原動力です。
自分の損得、幸せだけに集中しそうになったら、誰かの「おかげ」を思い起こしましょう。視野が広がり、相手のこと、周囲のこと、そして社会のために「自分ができることは何か」からモノを見て考える習慣が、「思いやり」の土台になります。

まとめ

私たちの言動は、誰にも見えない自分の心から出ています。その心が温かく、思いやりに満ちたものであれば、これに伴う言動は、相手の立場や気持ちに配慮したものになります。反面、わがままな心に基づいた言動は、相手の目には「自分勝手なもの、不愉快なもの」として映ることでしょう。勇気ある思いやりの実行は、その行為の結果を受け取る相手だけでなく、行った本人にも大きな充実感、喜びをもたらしてくれます。

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