親の声は「道しるべ」 ~道徳授業で使えるエピソード~

長い人生、時には悩み、行き詰まることもあります。そんなとき、道を切り開く手がかりとなるのが親の意見や考えであることは、少なくありません。
今回は、思春期の子供とその親との葛藤を手がかりに、親の愛情を受け止め、その声に耳を傾けることの大切さについて考えます。

 

■子の気持ち、親の意見

 

小学校のときの担任の先生にあこがれ、教師になることを目標にしていた香さんは、進学校で難関大学を目指して一生懸命に勉強してきました。ところが先日、滑り止めのつもりで受けた1校目に不合格。これまで順調な道を歩んで大きな挫折を経験していない香さんは、本命の大学の入試を前にすっかり落ち込んでいたのでした。
香さんの言葉に、英幸さんは叱責するように言いました。
「だめだ、おまえは大学に行きなさい」
もしかしたら優しく慰めてくれるかもしれない……。そんな淡い期待は、父の言葉で打ち砕かれました。
「もう子供じゃないんだから、なんでもかんでも押し付けないで、私の思ったとおりにさせてよ!」
思わず声を荒げた香さんは、今にも泣き出しそうになりながら居間を飛び出し、自分の部屋に入りました。

 

■親は子供が大切

 

翌日の夕方、香さんは塾帰りの途中に父親の会社の前を通ると、ちょうど仕事を終えて帰宅するパート社員の田中恵子さんに声をかけられました。
「あら、香ちゃん、元気ないわね」
恵子さんは、会社の設立当時から経理担当として働き、佐々木家とは家族ぐるみのつきあいをする間柄です。香さんにとっても、幼いころから面倒を見てくれた恵子さんは、気がねなく何でも話せる存在です。
「実は……」
香さんは、昨日の両親とのやりとりを話しました。
香さんの話が一段落すると、恵子さんはにっこりと微笑みました。
「香ちゃん、こんな話、知っているかしら」と言って、恵子さんは次のような話をしてくれました。

 

■親の請求書は無料

 

うちの小さな息子が、ある晩、キッチンで夕食の支度をしている私の妻のそばに来て、何か書いたものを渡した。妻はエプロンで手をふいて、それを読んだ。

芝生を刈った……5ドル
自分の部屋を掃除した……1ドル
お使いに行った……50セント
ママが出かけたとき、弟のめんどうをみた……25セント
なまゴミを外に出した……1ドル
いい点を取った……5ドル
庭を掃除した……2ドル
合計14ドル75セントの貸し

妻は返事を待って立っている息子の顔を見た。さまざまな思いが妻の脳裏をよぎっているようだ。つと、妻はペンを取り、その紙の裏にこう書いた。

一〇か月間、私の中であなたが育つのを待って運んでまわったのは……無料。
いく夜も寝ずの看病をし、
治るのを祈ったのは……無料。
この歳月、あなたのためにつらい
思いをし、涙を流したのは……無料。
すべてを足してみても、私の愛の値段は、無料です。
怖れで眠れなかった夜も、味わうと
わかっていた心配ごとも……無料。
おもちゃも、食べ物も、着る物も、あなたの鼻をかんであげたのも……無料。
それを全部足しても、本当の愛の値段は……無料です。

読みおえた息子の目に、久しぶりに大粒の涙が浮かんでいた。彼はまっすぐに母親の目を見つめると言った。「ママ、ぼく、ママが大好き」
そう言ってペンを取ると、大きな字で、彼はこう書いた。「ぜんがく支払い済み」
(J・キャンフィールド、M・ハンセン編著、木村真理、土屋繁樹訳『こころのチキンスープ』ダイヤモンド社刊)

「親には、子供を幸せにする責任があると思うの。いずれ、香ちゃんもご両親のもとを巣立っていくわね。そのときに一人でも立派に生きていけるように、時には厳しくなっても我慢と辛抱を教えないといけないのよね」
「私の幸せ……」
香さんはつぶやきました。
“父さんは、なぜ私にあんなふうに言ったんだろう”という疑問を抱えながら、恵子さんを見送りました。

 

■父の本音

 

その夜、英幸さんが帰宅するなり、香さんは待ちきれないかのように、玄関先で声をかけました。
「お父さんは、どうして私に大学に行けと言うの?」
一瞬、戸惑った顔を見せた英幸さんでしたが、香さんを居間へ促して、話しはじめました。
「おまえはいつもよくがんばっている。父さんも母さんも、自分の娘を誇りに思っているよ」
ふだん子供を褒めない父の思いがけない一言に、香さんは驚きました。
「おまえは負けず嫌いで、いつも一直線だ。そんなおまえのことだから、受験に失敗したことも、すぐには受け入れられないんだろう」
自分の気持ちを代弁するかのような言葉に、香さんは何も言い返せません。
「でも香は教師になるために、ずっとがんばってきたんだろう? それにいつかはおまえも結婚して、子供を持つことになる。その子もきっといつか、今のおまえのように人生に迷うときが来るよ。そのとき“お母さんも人生の大切なときに悩んだけれど、こうして困難を乗り越えたんだ”と言って、子供の背中を押してあげられる人になってほしい。自分がやりもしないことを子供に言って納得させることはできないと、父さんは思うんだ」
“父さんは、そんなふうに思っていたんだ。私の将来を考えて、わざわざ困難な道を歩ませようとしている”。父の思いがけない本音に触れた香さんは、“頑固一徹で自分の気持ちを何も分かってくれない”と反発していた心が和らいでいくのを感じていました。

 

■先人の声に導かれて

 

「お父さんのいうことを聞いて損はないよ。先人の声は道標なんだよ」(桂小金治著『泣いて、叱る』講談社刊)。
厳しい父親に育てられた落語家の桂小金治さんは、母親から常日頃、そう教わったといいます。だからこそ、自身も子育てをするようになってから、親として子供の幸せを願って厳しくするし、叱りもする。それが愛情というものである、と述べています。
真に子の幸せを願ってなされた親の行いは、子供が未来を開くための道しるべになるものです。
道しるべのない道はどこへ続くか分からないのと同じように、いくつもの選択肢がある人生においても、正しい選択をするためには道しるべが必要です。子供にとっては、親の心がそれに当たるのでしょう。その心をしっかりと受け止めてこそ、人は迷わずに正しい道を歩めるのではないでしょうか。

(『ニューモラル』491号より)

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