2019年02月01日
今、家庭や学校、地域社会で、「いのちの教育」の必要性が訴えられています。
今回は、「いのち」のありがたさを感じ、「いのち」と心を受け継いでいく大切さを考えます。
小島京子さん(27歳)は、親元を離れて東京の会社に勤めています。
ある日の夜、京子さんの携帯電話が鳴りました。それは関西に住む母親からでした。
「京子ちゃん、おばあちゃんが亡くなったの。なるべく早く帰ってらっしゃい」
涙ぐんだ母親の声が聞こえてきます。京子さんは頭の中が真っ白になり、しばらく何も考えることができません。
京子さんの祖母・ミツさんは、今年80歳でした。早くに夫を亡くし、女手1つで4人の子供たちを育て上げました。また、夫の遺言に従って事業を引き継ぎ、社長として会社を経営していました。そのため小島家にとって祖母の存在は、大黒柱であり、家の中心でした。人生の節目には必ずミツさんに相談してから事を運ぶのが、家族の習慣で、京子さんも進学や就職を決めるときには、ミツさんから助言をもらい、それが大いに役立っていました。
2か月前に体調を崩して入院していたミツさんでしたが、突然の訃報に京子さんは驚きました。
いつもの生活に戻り、1か月が経っても、京子さんは自分の身体の一部を失ったような喪失感から立ち直ることができません。
そんなとき、京子さんの様子を心配した大学時代の友人から、小包が届いたのです。その友人も「おばあちゃんっ子」で、高校生のころ、祖母を突然亡くし、たいへん辛かった体験を持っていました。
届いた荷物を開いてみると、1冊の絵本『わすれられないおくりもの』(スーザン・バーレイ作絵、小川仁央訳、評論社)が入っていました。
京子さんは、すぐに読み始めました。
その本は笑顔で、周りのだれからも慕われていた森のアナグマの話です。
アナグマは賢く、いつも森のみんなに頼りにされていました。困っている友だちは、だれでも必ず助けていました。アナグマは、老いて自らの死が近いことを知っていましたが、死ぬことを少しも恐れていませんでした。死んで身体がなくなっても、心が残ることを知っていたからです。やがて、アナグマは亡くなります。
――ベッドの中で、モグラはアナグマのことばかり考えていました。なみだは、あとからあとからほおをつたい、毛布をぐっしょりぬらします――
――カエルはスケートがとくいです。スケートを、はじめてアナグマにならった時のことを話しました。アナグマは、カエルがひとりで、りっぱにすべれるようになるまで、ずっとやさしく、そばについていてくれたのです――
――みんなだれにも、なにかしら、アナグマの思い出がありました。(中略)
さいごの雪がきえたころ、アナグマが残してくれたもののゆたかさで、みんなの悲しみも、きえていました。アナグマの話が出るたびに、だれかがいつも、楽しい思い出を、話すことができるように、なったのです――
嘆き悲しんでいた森の動物たちでしたが、アナグマに教えてもらったことや、アナグマの優しさを思い出していくことによって、かけがえのない思い出を自分たちに残してくれたことに気づき、元気を取り戻していくのです。
京子さんの心の中で、好きだったミツさんの姿と絵本のアナグマが重なりました。
小学2年生のとき、近くに住むいとこや友だちは自然と自転車に乗れるようになったのですが、京子さんだけはなかなかうまく乗れませんでした。夕方、京子さんがこっそり練習をしていると、仕事を終えたミツさんが自転車の後ろを支えてくれて、乗れるようになるまで、何日も付き合ってくれました。転んで泣きそうになっても優しく見守ってくれたおかげで、涙をこらえることができました。そして、やっと乗れるようになったとき、ミツさんは自分のことのように喜んでくれたのです。
また、京子さんの妹・恵子さんが、病気で入院したときも、「こんなに小さいのに、苦しい思いをして。できることならおばあちゃんが代わってやりたいよ」と妹の手を握っていたのを覚えています。妹の入院で心細い思いをしている京子さんには、「心配だろうけど、今はおばあちゃんといっしょに恵子ちゃんの無事を祈りましょう」と言って励ましてくれました。
優しくて勇気のある祖母。祖母との思い出は尽きません。
京子さんは、友人からもらった絵本を読み返すたびに、ミツさんのことを思い出し、悲しみが少しずつ溶けていくような気持ちになりました。
京子さんが初盆のため実家に帰ったとき、親戚のほかに、昔、祖母の会社で働いていた人が、お参りに来ていて、祖母の思い出を語ってくれました。
当時の給料袋の中には、現金と『ニューモラル』が入っていたそうです。その裏表紙には、祖母が手書きで、社員1人ひとりへの感謝の言葉が書かれていたのです。
また、ボーナス袋を渡すときにも、手紙が付けられていました。
〈いつもあなたの笑顔で職場を和ませてくれてありがとう〉
〈細かいところまで丁寧に掃除してくれて助かります〉
社員が何げなく行っていることや、社長は気づいていないだろうと思っていたことでも、ちゃんと認め手紙で褒めていたそうです。
元社員の人は、「社長は、私たちの母のように、姉のように接してくださっていました」と、しみじみと語ってくれました。その言葉から、あらためてミツさんの偉大さを感じ、いろいろな人の心の中に祖母が生きているということを実感したのです。
10月は京子さんの誕生月です。京子さんは連休を利用して墓参のために帰省しました。
ミツさんは生前、「自分が誕生日を迎えられるのは、ご先祖さまと私を支えてくれている家族のおかげ」と言って、家族で墓参することを習慣にしていました。そして墓参の後、子供や孫たちにご馳走していたのでした。
“おばあちゃん、おかげさまで私も無事に誕生日を迎えることができました。その後もみんな元気にやっています”
墓前で手を合わせた京子さんは、祖母が亡くなったことを通じて、祖父母から両親へ、両親から自分へと脈々と受け継がれている尊いいのちと温かい心をあらためて感じました。
そして、家族や周りの人の幸せをいつも願い、祈って生きてきた祖母の心を受け継いで、自分も生きていこうと誓うのでした。
“おばあちゃんは、私の心の中でいつまでも生き続けている。ありがとう、おばあちゃん”
京子さんは、そっと心の中でつぶやきました。
(『ニューモラル』435号より)
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