見えない心づかいを思う ~ 道徳授業で使えるエピソード~

私たちの日々の生活の場をよくよく見つめてみると、ふだんは見えないところに、誰かの心づかいが存在しています。こうした何げない心づかいが行き届いていることで、快適な空間がつくられ、安心できる環境が整えられているのです。
ところが、私たちはそうした環境も「当たり前」と思い込んでおり、そこにある心づかいにはなかなか気づきません。どうすれば、それに気づくことができるでしょうか。

 

■初めての共同生活

 

この春、朋子さん(26歳)は食品会社への転職が決まり、前の会社の社宅を出ることになりました。
それまでの朋子さんの生活は、社宅と会社の往復ばかりで、人間関係に少しばかり窮屈さを感じていました。そのためいろいろな職種や経歴の人たちが集まって共同生活を送るシェアハウスに住んでみたいと思うようになりました。
朋子さんは、通勤に便利でセキュリティーも万全で、家賃も妥当な一軒家タイプの物件を見つけることができました。
そこには、すでに3人の女性が入居していました。朋子さんを含めて4人での共同生活になりますが、1人ひとりに個室の割り当てがあるため、プライベートな生活空間は確保できます。一方、リビングや台所、トイレ、お風呂などは共用で、ハウスメイトと顔を合わせる機会も少なくありません。みんな同年代ということもあって、すぐに打ち解けました。
新しい仕事を始めたばかりの朋子さんにとって、職場でのちょっとした悩みごとや困りごとを聞いてもらえるハウスメイトの存在は、ありがたいものでした。また、休日にはみんなで料理をしたり、小旅行に出かけたりもするなど、公私共に充実していました。

 

■見えるのは「よくないところ」ばかり

 

ところが、3か月を過ぎたころから、朋子さんの心境に少し変化が現れました。
シェアハウスでは、共用のスペースを使用したら、きちんと後片付けや掃除をする決まりです。ところがある日、台所へ行ってみると、共用の包丁やまな板が使いっぱなしのまま放置されていました。
“後で片付けるつもりで、忘れちゃったのかな?”
そう考えた朋子さんは、それらをひとまず洗ってから、自分の食事をつくったのでした。
しかし、使用後の後始末が不十分な状態は、その後も何度も目にしました。また、休日に洗濯をしようとすると、洗濯済みの衣類を取り出さずに外出してしまったハウスメイトがいるようで、共用の洗濯機がふさがっていることもありました。
朋子さんは、そうした不満を口にすることができませんでした。ようやく仲よくなってきたときに、人間関係が気まずくなるのは避けたかったからです。
それでも、共同生活のルールやマナーがきちんと守られていない場面を見かけるたびに気が重くなり、次第に腹立たしく思うようになりました。そして、ついには共同生活そのものにストレスを感じるようになったのです。

 

■それまで見えなかったもの

 

朋子さんがいちばん親しくしているハウスメイトは、外資系の企業に勤める紀子さん(28歳)でした。朋子さんは紀子さんに、思い切って相談してみることにしました。
「最近、ここでの生活にストレスを感じるようになってきたんです。みんなのよくないところが目に入ってしまって」
「私もここに住み始めたころは、“どうしてみんな、ルールをきちんと守らないの?”って、嫌な気持ちになったことがあるわ。
でも、知ってた? いつも玄関の掃除をしてくれているのは、由佳里さんだってこと。それに共用スペースのゴミ出しの前に分別のチェックをしてくれているのは、真紀さんだってこと」
紀子さんの言葉に、朋子さんは驚いてしまいました。
「2人がやってくれていることは、特別に決められた役割というわけではないのよ。なかなか見えないんだけどね。……もう少し、自分の身の回りをよく見渡してみたらいいんじゃないかしら」
そう言われて、朋子さんは職場を含めた自分の日常に、あらためて意識を向けるようになりました。すると、今まで見えなかった物事に、少しずつ気づいてきたのです。
例えば、職場で昼食をとる休憩用のテーブルにはいつもきれいな花が挿してありましたが、これは生け花を趣味にしている同僚がしてくれていることが分かりました。
シェアハウスでは、住宅メーカーに勤める由佳里さん(24歳)が、空調や換気扇などの掃除もこまめにしてくれていることが分かりました。そしてIT企業に勤める真紀さん(27歳)は、インターネット環境の整備のために心を配ってくれているようでした。

 

■何げない場所にあった心づかい

 

毎日の生活をよくよく見つめてみることで、「誰かの何げない心づかい」に支えられていたことに気づいた朋子さんは、共同生活の中で「みんなのためにできること」を考えました。そして料理が好きだったこともあり、台所のシンクを磨いたり、生ゴミはこまめに処理したりするように心がけました。
ある休日、昼食後に台所の掃除をしていると、たまたま入ってきた紀子さんに声をかけられました。
「最近、キッチンがいつもきれいだったのは、朋子さんのおかげだったんだ。どうもありがとう」
朋子さんはその言葉を聞いて、うれしくなりました。
紀子さんは、ふだんから「いつも戸締まりの確認をしてくれてありがとう。みんなついつい忘れちゃうんだよね」というように、ハウスメイトのさりげない心づかいの1つ1つにも、きちんとお礼を述べているようでした。

 

■「いいところ」に目を向ける

 

シェアハウスでの生活に一時はストレスを感じていた朋子さんでしたが、やがて入居当初の明るさと楽しさを取り戻していきました。新しい仕事も軌道に乗ってきたようです。
というのも、最近の朋子さんは、人の「よくないところ」ではなく、「いいところ」を見つけようとしているのです。初めは難しかったのですが、そのうち“今日はどれだけ「人目に触れない心づかい」に気づけるかな”と、楽しめるようになってきました。
もっとも朋子さんの周りから、人の「よくないところ」が減ったり、なくなったりしたわけではありません。今でもシェアハウスや職場でそうした部分を見かけると、イラっとしてしまうこともあります。しかし、それも以前ほどは気にならなくなったように思えます。それは、他の人の「よくないところ」にとらわれるあまり、もともとそこに存在していたはずの「いいところ」を、まったく見落としていたことに気づいたからです。

 

■「責める心」を乗り越える

 

私たちの日常の大部分は、私たちが気づいていない「誰かの心づかい」によって成り立っているといえるのではないでしょうか。
人と生活や仕事を共にする中では、その人の「よくないところ」が目に付いて、腹立たしく思うこともあるでしょう。とはいえ、それがその人の一面に過ぎないことは、言うまでもありません。そこをなじったり、とがめたりするばかりでは、私たちの日常はずいぶんと重苦しいものになってしまいます。
そうならないためには、他の人へのまなざしを「責める心」から「受けとめる心」「許す心」へと、徐々に変えていくことが大切です。そのうえで今一度、みずからの周囲をつぶさに見渡してみれば、誰かの「見えない心づかい」を見つけることができるはずです。それを多く見つければ見つけるほど、私たちの毎日は喜びと感謝に満ちたものになっていくでしょう。

(『ニューモラル』538号より)

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