2023年12月12日
子供の成長に「失敗」はつきもの。親としてどのような気持ちで受けとめますか。
拓也さんと香奈さん夫妻は、最近、新しい町に引っ越してきました。これから、近所の人たちと仲良くつきあいたいと思っていたある日のことです。
「大介。お隣に回覧板を届けに行くけれど、いっしょに行く?」
「うん!」
大介くん(3歳)は、にこにこ顔でサッカーボールを持って香奈さんと玄関を出ました。
お隣の家は、奥さんが大のガーデニング好きで、家の前の柵にはたくさんのプランターがかけられています。そんな花々に目をやりながら、玄関に向かおうとすると、左手に小さな花壇があり、奥さんが手入れをしていました。
「こんにちは。回覧板です」
香奈さんの声に気づいた奥さんが、手を止めて立ち上がりました。
「あら、ぼくもいっしょに来てくれたの? 大介くんだったわね?」
「うん」
「きれいなチューリップ! 色とりどりで、もうかなり咲いてきていますね」
「そうなの。毎年咲かせているのよ。でも今年のできが一番ね。ここまで育てるのは大変なの」
奥さんは、ほかにも見せたい珍しい花があるからと、香奈さんを庭の奥まで案内していきました。
香奈さんが奥さんとガーデニングの話をしていると、大介くんの叫ぶ声がしました。
2人が振り向くと、大介くんの蹴ったサッカーボールが花壇のチューリップを何本もなぎ倒して転がっていました。
「まあっ!」
奥さんは悲鳴をあげながらチューリップに近づくと、そのうちの何本かはすでに根元近くから折れてしまっているようでした。
香奈さんはあわてて謝りましたが、奥さんは何も言ってくれません。
「ほら、大介も『ごめんなさい』は?」
大介くんは下を向いたまま、だまっています。目には涙がいっぱい溜まっています。
「大介、悪いことをしたら、ちゃんと『ごめんなさい』って言わなきゃだめじゃない!」
「……ごめんなさい」
大介くんの目から、涙が一気にあふれ出しました。
奥さんは、そんなようすを見て、ゆっくりと口を開きました。
「しようがないわね……」
香奈さんは、親の自分が責められているような感じがして、いたたまれない思いでいっぱいでした。
「本当に申しわけありませんでした」
香奈さんは、もう一度謝り、大介くんの手を引いて家に戻りました。
香奈さんは、仕事から帰った拓也さんに夕方の出来事を話しました。
「大介ったら、とんでもないことをしてくれたわ。お隣の奥さんと気まずくなってしまって……」
「わざとやったわけじゃないんだから、もう一度ちゃんと謝れば許してもらえるんじゃないか。それにしても、たかがチューリップだろう」
「たかがチューリップって言うけれど、それはもう大事に育てているんだから」
「だいたいそんな大事なチューリップを外で作るほうが問題なんじゃないのか」
「そんなこと言ったって……。ねえ、真剣に考えてくれているの?」
「ああ……。だけど、ぼくだって疲れているんだから、また明日、話を聞くよ」
香奈さんはこれ以上話すのをやめましたが、心の中では“分かろうとしてくれない”という気持ちがくすぶっていました。
翌日、香奈さんは郷里から届いた野菜を持って謝りに行きましたが、何度足を運んでも留守でした。
夜、拓也さんが帰ってきました。拓也さんは口を開くなり、「昨日はいっしょに考えてやれなくてすまなかった」と言いました。
実は、拓也さんは自分なりに考えてみようと、帰りがけに隣の庭をのぞいて来たのでした。そして花壇の手入れがあまりに行き届いているのに驚き、“たかがチューリップ”とは言えないわけが、やっと分かったのだと話しました。
拓也さんにちょっぴり不満を持っていた香奈さんの気持ちが、少し明るくなりました。
夕食後、拓也さんは大介くんの失敗を聞いて思い出したことがあると、次のような話を始めました。
田舎に育った拓也さんは、小学5年生のある日、学校の裏山で、友だちのAくんと遊んでいました。2人は、運動が得意で、お互いにライバル意識を持っていました。草スキーを楽しんでいるうちに、どちらが先に下まで滑れるか競走しようということになったのです。
並んで滑っているうちに、Aくんのほうがスピードを出して拓也さんを追い越して行きそうになりました。
“このままじゃ、負けてしまう”
そう思った拓也さんは、思わずAくんを押してしまいました。Aくんはバランスを崩し、転んだまま下まで滑り落ちてしまったのでした。泣きながら帰っていくAくんの後ろ姿を見ながら、拓也さんはうしろめたい気持ちでいっぱいになり、食事ものどを通りませんでした。
「幸い、ひざをすりむいただけで大したことにはならなかったけれど、その日の夜にAくんの家から電話があってね。おやじとおふくろはぼくを連れて、すぐに謝りに行ったんだ。
『息子がとんでもないことをしでかしまして、申しわけありません』
そう言って、ぼくのために何度も頭を下げていた。親のそんな姿を見たのは初めてだった。胸が締めつけられるような感じだったことを今でも覚えているよ。
おやじから、卑怯なまねはするなと、きつく叱られたよ。もちろん、大介の場合は、わざとやったわけじゃないけれどね」
「そうね。でも相手にしてみたら、起こったことは同じですものね」
「子供の前で頭を下げるなんて、親としちゃ、格好の悪いことだよね。だけど不思議なんだな」
「そんな親の姿を鮮明に思い出すくらい覚えているのに、ぼくは、そのことで親が格好悪いなんて思ったことは一度もないよ。むしろ尊敬しているし、感謝しているんだから。
子供が失敗したとき、親は親として責任をとる姿というものを子供にも見せることが大切なのかもしれない。
ぼくは、あのとき、おやじやおふくろが謝る姿を見て、胸が締めつけられる思いだったけれど、今になって振り返ってみると“親にこんなことさせちゃいけない”って思った原体験だったように思うんだ」
原体験って?」
「うーん。ぼくの考え方のもとになった体験ということかな。そのあと中学生、高校生になって、悪友からタバコとか酒とかいろいろと誘われたけれど、いざというときに踏みとどまることができたのは、あのときの親の姿が記憶にあったからだと思う」
「なるほどね。謝ることって、今まではマイナスのイメージしかなかったけれど、子供のために頭を下げることは、親として大事な場合もあるのね。
今まで、自分が親として未熟だから責められていると思って、そればかり気になっていたの。でも、親としてもっと大切なものがあるのね」
次の日、香奈さんは大介くんを連れ、お隣を訪ねました。
「一昨日は、大切なお花を折ってしまい、本当に申しわけありませんでした」
そう言って頭を下げる香奈さんの心は、昨日のように苦しくはありませんでした。子供のために頭を下げることなら、むしろすがすがしいような気持ちでした。
大介くんも「おばちゃん、ごめんなさい」と謝りました。
「こちらこそ、ごめんなさいね。主人に話したら“花が大事なのか、ご近所が大事なのか”って叱られました」
奥さんも、これから先のことを考えて気にしていたのでした。香奈さんもほっとしました。
親は最初から親だったのではありません。日々子供と向き合っていく中で、ともに学びながら親になっていきます。
親は子を育てますが、親も子によって親として成長するチャンスを与えられているといえるでしょう。親は子の失敗にねばり強くつきあい、そのつど、親としての自覚と子とのきずなを深めていくことが大切です。
子育てを通して、親も子も心が育つ──まさに子育ては“親育て”“心育て”といえるのではないでしょうか。(『ニューモラル』403号より)
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