思いやりの心をはたらかせる ~ 道徳授業で使えるエピソード~

昨今、いじめや、幼児・高齢者への虐待など、人の痛みを感じないのではないかとさえ思えるような出来事が増えています。
このような中、私たちは、とりわけ人に対するいたわりの気持ちを発揮し、思いやりの心をはたらかせることが、もっとも必要なことだと思います。

 

■思いやりが人の心を救う

 

東京で建築設計事務所を営む北山さん(58歳)は、4年前、大きな事故に遭いました。
その日、北山さんは所用でタクシーに乗りました。目的地の近くまで来たものの、渋滞していてなかなか前に進みません。北山さんは、タクシーを降りて歩くことにしました。
信号のある横断歩道を渡ろうと、いったん歩道に上がろうとしましたが、道路を横切ったほうが近道だと考え、注意しながら車道に身を乗り出しました。
そのときです。渋滞する後続車線の車のかげから飛び出してきたオートバイに激突されてしまいました。

妻が呼ぶ声で目覚めた北山さんは、自分が病院のベッドに寝ていることに気づきました。
全身に痛みを感じ、体中を包帯で覆われて身動きできない中、かろうじて見える右目に、涙をこらえている妻と2人の娘の姿が映りました。
そして、少し離れたところに、髪を金色に染めた大柄な青年と、その両親らしい夫妻がいることにも気づきました。青年のほうに顔を向けると、不安そうにこちらを見ていました。
そのとき北山さんは、激痛の中、自分が青年にかける言葉が、青年の心に大きな影響を与えるだろうと思い、責任のようなものを感じました。

 

■支えられて生きている自分

 

北山さんは、終戦の年の昭和20年、4人きょうだいの次男として福井県に生まれました。軍医をしていた父親は戦地で病気にかかり、帰国後は満足に働くこともできなかったため、母親は昼夜の別なく、働き続けました。
北山さんは、高校卒業後、地元の自動車会社に勤めましたが、ろく膜を患って半年ほど入院しました。その後、建築士になる決意をして上京しました。
上京後、昼間は建築設計事務所で働き、夜は専門学校に通いました。数年後には結婚し、自分の建築設計事務所を開くことができました。
やがて北山さんは、これまで順調に来たのは自分の力だけではないと意識するようになりました。
上京後に勤めた設計事務所では、設計について何も知らない自分を一から指導してくれたうえ、夕方になると、「早く行かないと、学校に遅れるぞ」と声をかけてくれた所長さん――。
郷里の村を出ると決めたとき、病弱だった自分を心配して反対した病院の院長先生や村長さん、お寺の住職さんたち。専門学校を卒業し、最優秀の賞状を持って帰郷すると、彼らは村の知人を集めてお祝いの会を開いてくれた――。
北山さんの父親は、北山さんが上京して2年後に他界していました。
病気とはいえ、妻に苦労をかけどおしで、さぞはがゆい思いをしていたであろう父親の気持ち――。
病気の夫の世話をしながら、畑仕事と機織りで家を支え続け、しかもそうした中にあっても、戦後の食糧難のときには物乞いに来た人々に食事を分け与えていた母親の姿――。
今の自分があるのは、こうした多くの人たちのおかげだと分かってくると、感謝せずにはいられませんでした。
こうした人たちの姿を見て育ってきただけに、人の心の悲しみや痛みはよく分かりました。またその分、喜びや楽しみの大切さ、いたわりややさしさの大切さも感じていました。
“人は、自分1人では生きていけない。親や、親の心を持った人々のいつくしみをもらって生きている”
北山さんの胸にはいつもそんな思いがありました。

 

■“親だったらなんと言うだろう”

 

自分が横たわるベッドのそばで、不安げに見つめている青年――。
北山さんはふと、“もし自分がこの子の親だったらなんと言うだろうか”と思いました。
親ならば、自分の体の痛みや苦しみ、不安はさておき、まず子供をいたわり、心配し、守り、育てていくだろう。
そう思った瞬間に、次の言葉が出ました。
「ケガ、しなかったか?」
北山さんが、痛みをこらえて言ったその言葉は、不安と緊張の中で張り詰めていた青年の心を和らげたのでしょう。青年は大粒の涙を流しはじめたかと思うと、「すみません、ほんとうにすみません」と、わび続けました。
北山さんは言いました。
「不用意に道路を横断した私も悪かったんだ。そんなに気にしなくていいよ。わざわざ来てくれて、ありがとう」

 

■1つの家族が救われた

 

北山さんは、3か月近く入院しました。その間、青年は父親といっしょに、たびたび見舞いに来ました。
彼は最初の高校を2年で退学し、新しく入った高校でも欠席が多くて再び退学になるかもしれないということが分かりました。また彼の心には、厳格な父親に対する反発があることも分かってきました。同時に父親の苦しみも想像できました。
北山さんは、自身が苦労してきた体験や人生には夢や目標を持つことが大切なこと、親のほんとうの気持ちや親孝行の大切さなどについて話しました。
そのうちに、その青年の親子関係がよくなっていくことが感じられました。
退院した翌日、北山さんは青年に手紙を書きました。
――事故のことを振り返って悔やんでばかりいないで、前を向いて進み、高校生活を全うしてほしい――
しばらくして青年から返事が届きました。
――事故のことは決して忘れません。……3学期は1日も休まないで登校し、3年生に進級できました。進級したからには、勉強をがんばって大学に入りたいと思います――
青年の父親からも手紙が来ました。
――事故直後、病室でかけてもらった言葉で、自分たち家族がどれだけ救われたか分かりません――

 

■多くの人の思いやりに気づく

 

後日、自分の退院の報告をするため、福井に住む92歳の母親を訪ね、兄嫁から、入院中の母親のようすを聞かされました。
「雨の日も風の日も、吹雪の日でさえも、毎朝5時半に外に出て、まだ暗い東の空に向かってけがの回復を祈っていたのよ」
また、毎日、病院に来てくれた妻と2人の娘、仕事の報告を頻繁にしてくれた社員、資金繰りを心配して手を打ってくれた得意先の社長、神社に行ってお守りをもらってきてくれた友人……。
“今度の事故によって、自分こそ多くの人の思いやりによって生かされていることが分かった”と、北山さんはあらためて感謝しました。

 

■人間社会の一員として

 

北山さんが、初対面の青年にいたわりと思いやりの心をはたらかせることができたのは、多くの人たちに支えられてきた感謝の気持ちと、他の人に返していこうとする「恩に報いる心」があったからではないでしょうか。
人に対する「いたわり」「やさしさ」を心に根づかせて、身近な人たちへ思いやりの心をはたらかせていくことは、私たちが人間社会の一員として、社会へ恩を返していくことになります。
そして、そのような心づかいと行いが、自分自身をも輝かせていくことになるのではないでしょうか。

(『ニューモラル』415号より)

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