2019年07月19日
私たちは、親や多くの祖先のおかげで今ここに存在します。しかし、普段は親・祖先とのいのちのつながりや、そのすばらしさ・ありがたさを意識することが少ないのではないでしょうか。
田中清一さん(45歳)は、妻の和子さん(40歳)と清一さんの母キヨさん(74歳)、そして1人息子の武くんの4人家族です。
武くんは中学2年生になってから、口数がめっきり少なくなり、話しかけても、いつもぶっきらぼうな返事ばかりで、自分から話しかけてくることもほとんどありません。
学校が夏休みに入ったある日の夕食。いつもと様子が違い、武くんのほうから口を開きました。
「おばあちゃんにちょっと聞きたいことがあるんだけど。
夏休みに自由選択の宿題があるんだけど、僕は『おじいちゃんやおばあちゃんが中学生だったころ』という作文を選んだんだ。だから、おばあちゃんが14歳ごろの話を聞かせてくれないかな」
清一さんと和子さんは、めずらしく武くんから話をしてくれてうれしそうです。キヨさんもそうした息子夫婦のうれしさを察してか、笑顔で自分の子供のころの話を始めました。
「おばあちゃんは呉服問屋の1人娘でね、小さいころから本を読むのが大好きで、学校の成績もとても良かったんだよ。
でも、武と同じ年ぐらいのときは戦争中でね。今でも覚えているのは、終戦間近の8月に、町が空襲で一面焼け野原になったこと。幸い、私はお父さんやお母さんと隣村の親戚の家でお世話になっていたから助かったけれど……。
もし空襲で死んでいたら、亡くなったおじいさんとも結婚してないし、清一も生まれてない。もちろん武だって今ここにはいないのよ」
それを聞いていた和子さんが、
「おばあちゃんがいてくれて、よかったわね」と、武くんに話を向けると、
「ウン、そうだね」と小さく答えるのでした。
「ところで、和彦おじいちゃんとはどうして結婚したの?」
武くんは話題を変えました。キヨさんはちょっと照れながら、
「おじいさんとは又いとこ同士でね。実は、私にはほかに好きな人がいたんだけど、終戦後、兵隊から戻ってきたおじいさんから猛烈にアタックされて、結局根負け。私が1人娘だったから田中家の養子にきてもらうことになったんだよ」と答えました。
「へー、おじいちゃんもやるじゃん!」
いつもは食べ終わるとすぐに自分の部屋へ戻る武くんでしたが、今夜の夕食はキヨさんの若いころの思い出話に、家族の会話も弾んだのでした。
夕食の後片付けも終わり、食卓には清一さんと和子さんが残りました。
「今夜は、お義母さんからいろいろな話を聞けてよかったわ。それに武とも話ができたし。
私ね、“もし空襲で死んでいたら、あなたや武が生まれていない”
という話を聞いて、高田好胤さん(元・薬師寺管主)の『母』という本の一節が頭に浮かんできたの」
――私たちはみんな、お父さま、お母さまから生まれてきました。お父さま、お母さまもまた、ご両親から生まれてこられました。こうして25代(仮に1世代を30年として750年)さかのぼりますと、私たちのご先祖の数は33,554,432人になります。(中略)私たちの生命はこんなに大変な数のご先祖さまが、いま、私たちひとりひとりの生命になってくださっているのであるということを自覚せねばなりません。(中略)大変な数のご先祖さまの喜び、悲しみ、その他諸々の精神的、肉体的経験が、私たちひとりひとりの血の中に流れて、そのお蔭で生かしていただいているのだ――(高田好胤著『母』より)
「3年前、実家の父が病気で亡くなる少し前にこれを読んだの。父と私とのいのちのつながりが感じられて、涙が止まらなかったわ」
「ご先祖というと遠い過去の人のように思うけど、和子にとっては3年前に亡くなったお義父さんで、僕には8年前に亡くなったおやじが、いちばん近いご先祖になるわけだ」
「あなたは、おじいさんやおばあさんのことは知っている?」
「離れて暮らしていたから、全然知らないんだよ」
清一さんはそう答えると、しばらく何かを考えている様子でした。
「この前、新聞で『自分史』作りの記事があったけど、家族の歴史を振り返る『家族史』も面白いかもしれないなぁ……。武の宿題にも役立つかもしれないし」
清一さんはそう思い立ち、あらためてキヨさんから話を聞くことにしました。
次の日曜日、清一さんは、武くんを連れてキヨさんの部屋へ行きました。
清一さんは、田中家の「家族史」作りを思い立ったことを話し、キヨさんの両親や祖父母、さらに親戚の人の名前とその関係なども聞かせてほしいと頼みました。
まずキヨさんの祖母・綾さんの話から始まり、次に、父・繁治さんの思い出へと続きました。
キヨさんの話は断片的なエピソードでしたが、これまで清一さんが名前を聞いたこともない親戚の話も出てきました。
結婚後の話になると、幼いころ病弱だった清一さんの話へと話題が移っていきました。
「清一は、幼稚園に入園する前に入院したこと覚えているかい?」
「うっすらだけど覚えているよ」
「喘息と高熱が何日も続いてね。病院に入院しても、高熱が全然引かず、お医者さまから“覚悟してください”とまで言われたのよ。おじいさんも私も、もう必死で、交替で寝ずの看病をしながら、神さまに“どうかこの子をお守りください”とひたすらお祈りし続けたの。
おじいさんも、まだ40代前半で若かったけど、清一の病気を心配して白髪がぐんと増えてねぇ。それにあのころは、タクシーで病院まで行っていたけど、清一の看病にいつでも行けるようにと、急いで運転免許を取って、思い切って車を買ったのよ」
「車を買ったのは僕の看病のためだったの? 全然知らなかった」
清一さんは、自分の命を救うため、神さまに祈り、必死に看病した両親の深い愛情を感じました。
ふと横を見ると、武くんもキヨさんの話に聞き入っていました。
清一さんは、キヨさんの話をパソコンに入力し、古い昔の家族の写真もパソコンに取り込んで、文章と関連付けて整理していきました。さらに親戚の名前も入れ、そのつながりも加えていくと、田中家を中心とした「家族史」ができあがっていきました。
そんなある日のこと、武くんが清一さんの部屋にやってきました。
「お父さん、家族史はできそう?」
「少しずつ形になってきたぞ」
「お父さん、あのね。この前、おばあちゃんの話をゆっくり聞けて、よかったよ。お父さんの小さいころの話やおじいちゃんの話、それに僕の知らない曾おじいちゃんや曾おばあちゃんの話もあって面白かった。話を聞きながら、何か不思議な感じがしてさ」
「不思議な感じ?」
「うちは4人家族だとばかり思っていたけど、亡くなったおじいちゃんや、曾おじいちゃん、曾おばあちゃん、それにもっと前の人ともつながっているんだなあと思えてきて……」
「実はね、お父さんも同じように感じたんだよ」
清一さんの心の中に、“田中家のご先祖さまが武を見守ってくれている”という安心感が大きく広がっていきました。そして、武くんに対する心配ごとも和らいでいくように思えたのでした。
私たちの体の中には脈々と両親もご祖先も生き続けています。多くの親やご祖先が、次の世代のわが子を慈愛の心で守り育ててきたからこそ、今こうして私たちはいのちをいただき、生きているのです。
その親や祖父母、祖先とのいのちのつながりを感じるとき、私たちは自分1人の力で生きているのではなく、生かされているのだと感じ取ることができるのではないでしょうか。
(『ニューモラル』419号より)
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