記事公開日 2025年6月10日
環境副大臣兼内閣府副大臣の中田宏氏と麗澤大学の清水千弘教授。2人が共通して「生き方そのものを学んだ」と語るのが、『凜とした日本人の生き方』の著者で、掃除道を提唱した鍵山秀三郎氏です。鍵山氏の教えが、どのようにお2人の人生や考え方を根底から変え、活動の支えとなったのか。そして、その学びが現代社会に投げかける問いとは何か。お2人に対談いただきました。
清水 中田先生と、鍵山先生についてお話しできることを楽しみにしていました。先生とは、「全国空き家バンク推進協議会」で一緒に理事を務めさせていただきました。それ以前からも、「日本を美しくする会-掃除に学ぶ会-」の会合や、共通に家族ぐるみの付き合いがあるデュオの「ゆず」の北川家のイベント、私の故郷の岐阜にあるタニサケの元会長の松岡氏との交流など、いろいろとご一緒することがありました。ここに、先人からいただいた学びを、改めてお教えいただければと思います。
中田 鍵山先生からは「生き方」そのものを学ばせていただきました。 私が松下政経塾に入った平成元年、今から36年前になりますが、鍵山先生にご講義いただき、その後、実際にトイレ掃除を体験しました。これが初めてお会いした機会です。講師と受講生という関係から、人としてのお付き合いに発展することは少ないのですが、私はその中で鍵山先生から大きな影響を受けました。講義の後、同期の14人全員が鍵山先生から1冊の本をいただきました。それが中公新書の『オルテガ』です。今でも私の座右の書としています。
講義の後、「さあ、やりましょう」と言って、突然鍵山先生が靴下を脱いで掃除を始められたことに衝撃を受け、その鍵山先生からいただいた本だけに、読まなければいけないという気持ちになりました。正直、当時の私には非常に難しかったのですが、数日目に読んだ一節に頭をガツンと打たれました。
それは「エリートとは、断れば断ることのできる社会的責務をあえて受託するもののことである。自らに多くを求め、自らに義務を課すもののことである」というエリートの定義でした。世の中でいうエリートは学歴や会社で評価されますが、鍵山先生の定義はそうではない、身分の問題ではないのだと。大衆という階層の中にもエリートはいるし、エリートと呼ばれる階層の中にも人と同じことだけをやっている大衆はいる。本来のエリートとはこうなのだという定義に、ある意味自分がエリートになりたいのではなく、そういう「生き方」をしたいと思った。これが鍵山先生からいただいた最初の大きな人生訓になりました。
私はお礼状を書いたのですが、お礼をしたこちらに対して、なんと返事をいただいたのです。これにまた驚き、それから文通が始まりました。一度、中田さんうちの会社でお掃除の集まりがあるから来ませんか、と誘っていただき、当時のローヤル(後のイエローハット)に伺いました。まだ「美しくする会」や「掃除に学ぶ会」も誕生してない頃です。そこでまた驚きの連続でした。掃除道具のあり方、使い方、考え方……。
特に驚いたのは、イエローハットが住宅地にある会社として、地域に迷惑をかけているという意識を持ち、「おかげ様でやらせていただいている」と、会社の周りから駅、さらにその先まで、2km四方くらいを毎朝掃除していると聞いた時です。全国の営業所にある車も、毎朝洗車してから出かけていくというではないですか。雪の日でも、泥だらけになるからとやめるのではなく、毎朝やる。それは車を大切に扱うこと、ひいては事故を減らすことに繋がる。ものを大切にすることが自然に身につくのだと。雪道だからと乱暴な乗り方はしないし、泥水をはねるような運転もしなくなる、と教えていただきました。なるほどと思いました。そんなところからご指導いただくようになり、結婚の際には仲人をしていただき、やがては家族で新年のご挨拶に伺うようになりました。選挙に出る際には後援会長をお願いするなど、応援していただきました。
イエローハットの社名も、黄色い帽子は小学校1年生が被るもので、交通安全で一番目立つものだと。自動車に関わる事業をやっている以上、私たちは交通安全の象徴でありたいという思いが込められていると聞いて、一つひとつの言葉や名前に込められた思いを知るたびに、自分が生きていくこと、政治家として活動していくことの意味を考えさせられます。時に道を見失いそうになったり、腐りそうになったりしても、鍵山先生の存在があること自体が、自分に対する戒めであり、めざすべき姿、生き方として大きな影響を受けています。
清水 誰よりも自分に厳しく向き合われる鍵山先生だからこそ、発する言葉の一つひとつに重みがありましたね。
中田 私が最初にいただいた言葉は「艱難辛苦汝を玉にす」でした。辛い出来事、困難があればこそ人は磨かれるのだと。起きたことを不幸と考えず、それを乗り越えるチャンスとしてどう生かしていくのか。佐藤一斎の「当今の毀誉は懼るるに足らず。後世の毀誉は懼る可し」という言葉もいただきました。今の世でどれだけ人からそしられ、ほめられてもおそれることはない。後の世になってからのそれは、やり直すことができないのでおそるべきであるという意味です。
私が政治家になってから毎朝街頭演説を9年3ヵ月、1日も休まず続けられたのは、イエローハットが雪の日でも毎朝洗車していることを知ったからです。雨の日だからやめようというのは合理的ですが、やめ癖がつけば、少しでも雨が降り始めたらやめる自分、前の晩に翌日が雨だと聞いたらもうやめようと思う自分が目に浮かびます。だから、毎朝やると決めたら、雪が降ろうが槍が降ろうが毎朝やるのだと決心できました。それは私にとって大きな力になりました。
日常生活でも、鍵山先生から多くのことを学びました。例えば、ホテルに泊まる際にアメニティを使わず、使わなかったことを伝えるメモを残す習慣。これは、ホテルの人が捨ててしまうのはもったいないという鍵山先生の考え方を聞いて始めたことです。また、落ちているゴミがあれば拾う。そこに一つ落ちていれば汚くなるし、一つ拾えばきれいになる。急いでいる時でも立ち去らず拾うようになったのは、鍵山先生という存在がいなければできなかったでしょう。駐車場でも、自分が歩けるなら入口から遠くに止めて他の人に譲る。こうした日常の些細なことの積み重ねが、日本を良くしていくのだと感じています。
清水 私の鍵山先生との出会いは、父が亡くなった1996年頃だと思います。父は銀行の取締役まで務めましたが、小学校・中学校しか出ていません。昭和一桁生まれで、父が小学校の時に祖父が亡くなり、母親と兄弟を支えなければならなかった。祖母も事故で足をなくし、父が銀行に丁稚として入りました。その後、苦労して銀行で出世しましたが、最後に再建のために入った会社が倒産してしまったのです。その時、3000人の雇用を誰が整理するのかという問題に直面し、父が率先して処理に当たっていた頃、鍵山先生に出会ったと聞いています。
父が亡くなった時、私は博士課程の2年生でした。大学院博士課程入学前に会社は倒産し、そのショックで祖⺟が認知症となり、さらに⺟が祖母の介護中にくも膜下出血で倒れ半身不随となり、2人の介護をしていた父まで癌のステージ4で入院しました。指導教授からは自分の後継者になるように言われていたのですが、3人の介護が始まり、研究どころではなくなりました。この負の連鎖を止めないといけないと思い、大学院を中退しました。
その時に鍵山先生が、父の追悼誌にメッセージを寄せてくださいました。「清水敏弘氏は、小さく生きて大きく遺した人だ」「その人生は誰にも恥じることのない立派なものである」という言葉に、ものすごく救われました。当時は経済的にもどうなるか分からず、父も亡くなり、母と祖母の介護もしなければならないという苦難の真っただ中です。先生からいただいたメッセージで「今は耐える時だ」ということを学び、実際そこから10年間耐えて学者になることができました。
学者になってからも、鍵山先生からはご指導いただいています。学者になり偉くなったと思ってはいけない、「トイレを磨くように下坐の低い姿勢で」「そこから見える世界が真実です」と。低い姿勢で掃除をすると、力が入らずにできる。そこから見える世界と、お前が上から見ている世界は違う、こっちが真実なんだとおっしゃっていただきました。
食事をした後にいただいたお手紙で、「何を食べるかよりも誰と食べるか」ということの方が大事だということに気づかせていただいた、という言葉もありました。食事は美味しいものをいただくのも大事ですが、一緒に食べる時の心が通じ合う空間を共有することの大切さを教えていただいたんです。本当に些細なことでも、人生の苦しい時に助けていただき、多くのことを学ばせていただきました。人の上に立つ者とはどういうことか、上から見る風景と一番大事にしなければいけない風景は何か、ということを中田先生のお話を聞きながら改めて感じました。
「掃除に学ぶ」という言葉には深い意味があります。掃除を通して学ぶという姿勢です。例えば、道具の使い方。雑巾で水を拭くにも、ただ広げて拭くのではなく、まずタオルを広げて水分をこちらに流してから拭く。スポンジの絞り方も、ねじるとすぐダメになるから、長持ちさせる絞り方がある。物を生かし尽くすという考え方です。
中田 人の命だけでなく、物の命も一つひとつを大切にするという価値を身をもって教えていただきましたよね。
清水 その根底にあるのは「自分が使ってしまったら他の人が使えなくなる」という視点です。権力や力を持つほど、自分の力で囲い込みがちですが、鍵山先生は自分が使い尽くしてしまったら後世の人たちが使えなくなってしまう、という考え方であらゆることを判断し、行動されていました。これからの日本の未来に必要不可欠なことを学ばせていただいています。
中田 鍵山先生がおっしゃっていたことの一つに、「心の澱(おり)を取りたい」という思いがあります。これは逆に言えば、今の日本社会には心の澱があちこちに出ているということです。それは「自分さえよければ」「今さえよければ」という考え方であり、この考え方によって、人や社会、他者という存在を忘れ、自分のために行動する人が多くなっていることを憂えていらっしゃったのだと思います。
かつての日本社会では、鍵山先生が映画化された『てんびんの詩』にあるような「三方よし」の考え方が大切にされていました。商売だけでなく、自分自身が生きていくこと自体が他者にとっての益になるような生き方をめざすこと。これが心の澱を取り除く思いの裏側にある姿ではないでしょうか。そもそも日本社会はそういうことを大事にしてきたのに、経済発展や、逆に経済の停滞によって、それが失われてきている。私たちは日本の良いものを引き継いできましたが、このままではなくなってしまう。ここから先は、意識してどうやってそれを取り戻していくかが必要になっています。これは政策で考えがちですが、鍵山先生の場合は「掃除に学ぶ」ということを広めることが、それを具現化する一つの運動だったと思います。
私は後世に対して、日本が良いものを持って人・利益が一緒になる社会を構築していくために、政治家として働いていかなければならないと思っています。そういう社会を作っていくことが、これから先、私たちが次の世代に残していかなければいけないことでしょう。
具体的にこれから力を入れていきたいこととしては、自由と権利に対して、責任と義務がもっとセットになった社会にしていくことです。戦後、日本は自由と権利が強く叫ばれ、広く浸透しました。しかし結果として、行き過ぎた自由や無責任な自由になっているところがたくさんあります。自分さえよければという考え方が広まり、社会で様々な問題(ハラスメントなど)が起きています。これを改めていくためには、教育ももちろん大事ですが、社会の仕組みも重要だと思います。自由はただの勝手主義であってはならず、責任を伴う自由でなければならない。一つひとつを社会の仕組みの中に組み込んでいかなければなりません。
健康保険や年金、医療なども、「使わなきゃ損だ」「使えるもんなら使ってやれ」という仕組みではダメです。それぞれが自分自身の責任においてやるべきことと、社会全体で支えていくべきことの線引きが曖昧になっています。無料化(例えば少子化対策での医療費無償化など)が進むと、「ちょっと風邪をひいたらすぐ病院へ行く」「少しぶつけたらすぐレントゲンを撮る」といったことが起きます。これは、全て無料・無償という仕組みの中で、人のモラルがどんどん低下している現象を生んでいると思います。人間は仕組みに依存するものですから、この仕組みが知らないうちに人の道徳心や徳心を欠如させ、「使えるなら使おう」「もらえるならもらっておこう」という意識を増長させている。これは社会として大きなマイナスであり、仕組みから発生している問題だと考えます。
清水 掃除に学んだ、物を生かし尽くすこと、水の命を大切にすること、つまり「自分たちが使ったら人が使えなくなる」という姿勢、ここに尽きますね。
中田 鍵山先生は、私にとって腐らずにいられる支えであり、その存在自体が大きな力です。先生から学んだ生き方、そして日本の良さを次世代に繋いでいくという決意を胸に、これからも活動していきたいと思っています。
清水 本日は、有難うございました。お互いに歳を重ね、社会にお返しできる時間も限られてきました。私は、本年度から麗澤大学の産官学連携の学長補佐を担当させていただくこととなりました。麗澤大学は、90年の歴史の中で培ってきた研究・教育の成果を、モラロジー企業を中心とした産業界の皆様、そして官の皆様と一緒に、社会に還元していくことを実践してまいります。その根底には、美しい日本を未来へと紡いでいくことができるように、大切に残していくものを、しっかりと次の世代につないでいきたいと思います。大切なのは、日々の実践であることを肝に銘じて。