支えられている「いのち」 ~ 道徳授業で使えるエピソード~

家族とは、私たちにとって最も身近な存在です。家族の誰かにうれしい出来事があれば、それはみんなの喜びになり、つらく悲しい出来事があったときも、家族がそばにいてくれるだけで気持ちが少し楽になるのではないでしょうか。
私たちが両親から「いのち」をいただき、家族をはじめとするたくさんの人たちに支えられて今を生きていることは、当たり前のようでもありますが、よく考えてみると、実は奇跡のように「ありがたいこと」なのかもしれません。

■家族が増えた日

 

「かわいい妹か、弟が欲しい」
小学校2年生になるまで一人っ子だった美咲さんは、七夕の短冊やサンタさんへの手紙には、決まってこう書いていました。きょうだいがいる友だちの家に遊びに行くと、いつもにぎやかで、とても楽しそうだったからです。
お母さんのお腹に赤ちゃんがいることが分かったときは、飛び上がるほどうれしかったのを覚えています。それからの美咲さんは、張り切って家の手伝いをするようになりました。「早く『お姉ちゃん』って、呼んでほしいな。元気に生まれてきてね」
赤ちゃんが生まれたら、こんなことをしてあげようかな、あんなことも一緒にしてみたいな――。美咲さんは胸を膨らませながら、お母さんのお腹に向かってよく話しかけていました。
そして、いよいよ赤ちゃんが生まれてくる日。苦しそうなお母さんが、お父さんと一緒に病院へ向かうのを見送りながら、美咲さんは不安な気持ちでいっぱいでした。駆けつけてくれたおばあさんと2人で留守番をしながら、お父さんからの連絡を待ちました。

 

■みんなが通ってきた道

 

こうして生まれてきた結衣ちゃんを初めて抱いたとき、結衣ちゃんは小さくて、やわらかくて、温かくて、なんだか美咲さんの心までホカホカしてくるようでした。

あれから2年。初めは何をしてもかわいかった結衣ちゃんも、最近はいたずらをするようになって、内心“困ったな”と思うことも増えてきた美咲さんです。なんでも美咲さんの真似をしようとするので、宿題をしているときなどは教科書やノートに落書きをされそうになって、止めるのが大変です。
そんな中、お母さんは結衣ちゃんが散らかしてしまったところを片付けるときも楽しそうです。美咲さんが「あーあ、またやっちゃったね」と言うと、お母さんはこう言います。
「美咲も小さいときは、同じことをしていたんだよ。たぶん、お母さんやお父さんも子供のころは同じようなことをして、おじいちゃんやおばあちゃんにお世話をしてもらっていたんじゃないかな。でもね、うれしいことや楽しいこともいっぱいだから、大変なことはすぐに忘れちゃうよ」
美咲さんはそんな話を聞くとき、結衣ちゃんが生まれるときのお母さんの姿を思い出します。“私もあんなに大変な思いをして生んでもらって、こうやって大切に育ててもらってきたんだな”と思うのです。

 

■「私のいのち」を支えるもの

 

自分自身が誕生してから今日を迎えるまでの間には、どんな人たちのお世話になってきたでしょうか――今、あらためて考えてみましょう。
まず、私たちがこの世に生を受けた背景には、この「いのち」を与えてくれた肉体的な父親と母親の存在が必ずあります。とりわけ母親は、そのとき生まれてくる子供のためだけに、自分自身の生命をかけて出産に臨むものです。また、誕生後のことを考えても、特に乳幼児期などは、家族をはじめとする周囲の大人たちの献身的な養育を受けなければ、生き延びることすらできなかったでしょう。
子供はその後も周囲の支えを受けて、心身共に成長していきます。社会の中で生きていくための基本的な能力、例えば言葉や生活習慣、物事の考え方や善悪の判断基準などもまた、同じ社会に生きる大人たちから教育やしつけを受ける中で身についていくものです。「養い育てる」とは、単に衣食の世話をするだけで事足りるものではないはずです。
つまり、私たちが自分の「いのち」と「心」を持って今を生きているのは、父母や家族をはじめとする大勢の人たちから“どうかこの子が無事に生まれ、しっかりと歩んでいくことができるように”という温かい思いを注がれてきた結果であるといえます。

 

■受け継がれる「いのち」

 

また、私たちの「いのち」を支えているのは、実際に生み育ててくれた父母や生活を共にしてきた家族のように「直接的にお世話をしてくれた人たち」だけではありません。
もとをたどれば、私たちの父親と母親にも、それぞれを生み育てた「父親と母親」が存在します。その人たちにも、それぞれに「父親と母親」がいて……というふうに考えていくと、自分にとっての父母は2人、祖父母は4人、曾祖父母は8人。ここまで数えただけで、少なくとも14人が「私のいのち」を支えていることになります。誰か1人が欠けたとしても、今の自分は存在しません。
そして30代さかのぼると、計算上は累計21億人を超える祖先が「私のいのち」をつなぐために存在していたことになるのです。仮にひと世代を25年として考えると、30代前とはおよそ750年前です。今日に至るまでの間には、戦乱や災害等の大きな困難が幾度訪れたことでしょうか。それでも祖先たちは、その時代その時代を力強く生き抜きながら、次の世代を生み育てる努力を重ねてきたのです。
遠い昔から数限りない祖先たちによって、親から子へ、子から孫へと絶えることなく受け継がれてきた「いのち」をいただいて、自分は今を生きている――この事実は「私たち一人ひとりは、誰もがかけがえのない存在である」ということを教えてくれるのではないでしょうか。

 

■「私のいのち」に託されたもの

 

私たちは、自分の力でこの世に生まれてきたのではなく、また、誰の力も借りずに生きているのでもありません。そう考えると、軽々に「自分の人生なのだから、自分の考えひとつでどのようにしても構わない」などと言うことはできないでしょう。
多くの祖先たちが今日まで「いのち」を受け継いできてくれたように、私たち一人ひとりもこの「いのち」を大切に守り育て、次の世代につないでいく使命を帯びています。過去と未来をつなぐ存在としての自分自身の立場に気づいたとき、私たちはそこに「生きる意味」や「人生の目的」を見いだして、自分の人生をますますしっかりと歩んでいくことができるのではないでしょうか。
それはまた、私たちが受けてきた数限りない祖先たちの恩恵に報いる道でもあるのです。

(『ニューモラル』2014年家族のきずなキャンペーン特別号より)

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