2018年08月03日
日本人は事あるごとに心の中で祈り、正月になると多くの人々が習慣のように初詣をして、家内安全や商売繁盛を祈ります。また、受験の前には神社仏閣で合格を祈ったり、スポーツの応援でも思わず手を合わせて勝利を祈ったりします。さらに、親しい人が病気や怪我をすると、快復を願って祈ります。このように祈りは、日本人にとって自然に身に付いたしぐさとも言えるでしょう。
今回は、祈りについて考えます。
人は、自分の夢をかなえてもらうために祈ることがよくあります。祈ることで落ち着きや安らぎが得られます。また、親しい人の幸せや夢の実現を祈れば、その人と喜びを分かち合うこともできます。さらに祈りは、他人にも深い感銘を与えることがあります。
次に紹介するのは、美しい祈りの姿に魅せられた人の話です。
悦子さんは、小学校6年生のとき、友人に誘われて教会の日曜学校に初めて行きました。海辺の町の小さな教会で、中に入るときれいな礼拝堂があり、その清らかさに見入ってしまいました。すると、上品な老婦人がすっと悦子さんの横に来て、「初めて来たのね。よく来たわね。こちらにいらっしゃい」と言って、中ほどの席まで手を引いて行き、そばに座りました。その老婦人は静かに目を閉じて、頭を少し下げ、祈りはじめました。
悦子さんには、その祈りの姿が何とも言えず美しく思えました。透明でキラキラしていて、何の汚れもないという感じです。その姿から子供心にも深い感動が得られたのです。
それから20年後、悦子さんは結婚して女の子を授かりました。子育てのあり方に悩みはじめたころ、作家の瀬戸内寂聴さんの言葉に出会いました。
「ひと昔前なら、お年寄りは朝起きると神棚や仏壇にお供えをし、手を合わせて先祖や生命を紡ぐことへの感謝の気持ちを表したものだ。また、『食事の前に感謝の気持ちを込めて手を合わせなさい』とか『お米のなかには仏様がいらっしゃるから粗末にしてはいけない』とか、教えてくれもした。子どもたちは、お年寄りのそうした行為や教えから人間以外の不可思議な見えない大いなる者の存在を知り、感謝の気持ちや他者への思いやりの心を育んできた。……だから、悪さをして叱られるときも、『ご先祖様に申し訳ない』と、仏壇や神棚の前だった」(『信仰の発見――日本人はなぜ手を合わせるのか』水曜社)
〝そういえば、うちのおじいちゃんやおばあちゃんも言っていたな。「お天道様が見ているよ」とか、「世間様に顔向けできない」とか……〟
悦子さんは何か大切なことに気づかされた思いでした。――自分は親祖先から命を受け継ぎ、自然の恵みや社会の人々の支えの中で生かされているんだ、と。
そうしたことへの感謝の気持ちを込めて、みずから手を合わせることで、娘にも自然とその心が伝わっていくのではないかと考えました。
悦子さんは、自分の祈る姿を娘に見せていこうと思うようになりました。子供が成長したとき、自己中心的な人間でなく、謙虚な心を備えた大人になってほしいと願いました。そして、小学生のころに海辺の教会で見た美しい祈りの姿を思い出しながら、日に何度も手を合わせました。
家の中でも、外出先でも、ありがたいことがあれば手を合わせて真剣に祈る。時には短く、時には長く祈ることもありました。そういう姿を見せていくうちに、初めはわけも分からずただ隣に座って、手を合わせる真似事をしているだけだった娘の奈々ちゃんも、「何、お話ししてるの?」「何、お願いしてるの?」と聞いてくるようになりました。
そんなときは、「いつも神様やご祖先様がそばで見ていらっしゃるのよ」「あなたのこともお母さんのことも、神様やご祖先様は守ってくださっているのよ」と話しました。奈々ちゃんが何かよいことをしたときには、「いい子ね、神様もきっと喜んでいらっしゃるわよ」と言いました。
そんなふうに接していると、奈々ちゃんが5歳になったとき、こんなことがありました。 いたずらをした奈々ちゃんに、「こんなことをして、お母さんすごく悲しいわ」と言うと、奈々ちゃんのほうから「神様も悲しんでいらっしゃるかなあ」という言葉が返ってきたのです。〝この子の心の中にはちゃんと神様がいる〟と、悦子さんはうれしく思いました。
かつての日本人は、どんなときでもどんな場所でも一心に祈っていました。
どんなに文明が発達しても、人間は自分の手で、太陽、大地、水、空気などを創り出すことはできません。その意味で、私たちは偉大な大自然の恵みの中で生かされていると言えます。古来、日本人はそのような恵みに対して、感謝の気持ちを込めて敬虔な祈りを捧げてきたのです。
祈りは、生かされている喜びを実感することであり、大自然をはじめ祖先や先人、恩人たちのおかげを知ることではないでしょうか。
日本語の「いのり」という言葉の語源は、「生宣り」だと解釈されています。人生にはいろいろな悩みや難問が待ち受けていますが、「自分はめげずにがんばって生きるぞ!」と宣言することが、「祈り(生宣り)」です。自分に宣言をすることで、心は積極的に問題に向かっていけるようになるはずです。
自分の幸せのために祈るだけでなく、人の幸せのために祈り、大自然に感謝の気持ちを込めて祈る。毎日の暮らしの中に、そのような祈りの習慣を取り入れてみてはいかがでしょうか。
そうした気持ちや習慣を持ち続けていくことによって、いっそう喜びに満ちた、豊かな人生を歩んでいくことができるに違いありません。
(『ニューモラル』490号より)
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