あなたの周りにも、こんな人はいませんか。
気づけば、誰かにさりげなく声をかけている人。
一人ぼっちの人を見かけると、自然と隣に座る人。
困っている人を見ると、何も言われなくても手を差し伸べる人。
そんなさりげない姿を見るたびに、「気配りのできる人だな」と思います。
そして同時に、
「どうしたら、あんな風に自然に振る舞えるのだろう……」
そんなことを考えたことはありませんか。
実は私も、その一人です。
気配りは、教えてもらうものというより、
「その人から自然ににじみ出ているもの」のように見えます。
だからこそ、多くの人が憧れるのではないでしょうか。
加えて、気配りとは「相手をよく見ること」だと思いがちです。
そのため、「もっと周りを見よう」
「もっと気を利かせよう」
「もっと先回りしよう」と、努力します。
もちろん、それも大切なことかもしれません。
でも、それだけでは「憧れのあの人のような自然な振る舞い」には、
なかなか近づけない気がしませんか?
では、あの人と自分は、何が違うのでしょうか。
先日、講師として訪れた講演会場でのことです。
開会前、私は準備をしながら、
「時間どおりに始められるだろうか」
「この順番で話せば伝わるだろうか」
そんなことばかり考えていました。
すると、会場の隅で一人で待っている参加者の方がいることに
気づいていたにもかかわらず、
最後まで声をかけることができませんでした。
ところが、
受付を担当していたある女性が、その方のもとへ自然に歩み寄り、
「今日は遠くからお越しいただき、ありがとうございます」と
笑顔で話しかけていたのです。
その姿を見た時、ふと思ったのです。
気配りとは、気づく能力ではなく、心の状態なのかもしれない。
忙しくなると、私たちの頭の中は、
「次は何をしよう」「失敗しないように」
「今日中に終わらせなければ」
そんなことでいっぱいになります。
すると不思議なくらい、周りが見えなくなるんですよね。
目は開いているのに、
困っている人にも、少し元気がない人にも、
気づけなくなってしまう。
でも、心に少し余白がある人は違います。
誰かの表情の変化。
「ありがとうございます」の一言に込められた気持ち。
場の空気。
そうした小さな変化が、自然と目に入ってきます。
だから、
「頑張って気配りをしているというより、見えているから自然に動ける」
そんな印象を受けます。
私は最近、
「気配り」とは、相手のために何かをする技術ではなく、
自分の心に余白をつくることから始まるものなのかもしれない
と思うようになりました。
もちろん、いつも心に余白をつくり維持することは、
簡単じゃないですよね。
忙しい日もあれば、思うようにいかない日もあります。
そんな日は、周りが見えなくなる自分を責めるのではなく、
「今日は心に余白がなかったんだな」と気づくだけでも、
明日が少しだけ変わるような気がしています。
気配りとは、
特別な才能ではなく、相手を見る技術でもありません。
まずは、自分の心に少し余白をつくること。
そこから生まれる優しさこそ、憧れのあの人の気配りが、
自然に見える理由なのではないでしょうか。
<今週の視点>
「気配り」とは、相手を見る技術ではなく、
自分の心に余白をつくることなのかもしれません。
「あなたのためを思って」という気持ちは、決して悪いものではありません。
<今週の問い>
1.あなたが最近、「この人、気配りが自然だな」と 感じた人は誰でしょう。
2. その人は、どんな言葉や行動をしていましたか。
3. その人の「心の余白」は、どこから生まれているように 見えますか。
いかがでしたか?
ご自身の心と上手に付き合いながら、穏やかな一週間をお過ごしください。
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