ひまわりおばさん ~がんばる先生奮闘記~

 学校の開錠を長年お願いしていた地域のご婦人が、がんを患っておられるという知らせが入りました。ご主人と娘さんが「(そういった状況だけれども)引き続き、開錠をさせてほしい」と申し出て来られたのです。とても笑顔の素敵なひまわりのようなおばさんだからこそ、多くの子供たちからも慕われていました。
 徐々に病状が悪化して、いよいよ、時が近づいてきたように思えました。一時帰宅されたときに、校長の授業に一役買ってほしいとお願いをしようと思い、訪問しました。ひまわりおばさんは、私を見るや否や「校長先生、私、そろそろ限界みたい。お願いがあるの。私が戻れなかったら、子供たちに、ひまわりおばさんはみんなが大好きだったよって伝えてほしいの。先生、我がままでしょうが頼みます」とお願いされたのです。私の心を読むかのように手を握られました。「同じ思いです。私もそうさせて頂きたいと思ってお願いに来ました。その思いを子供たちに伝えたいので、やり方は私に一任してください」「先生、安心したわ。幸せよ」とその時の笑顔が今でも思い出されます。
 そして、3日後、ひまわりおばさんは旅立たれました。私はご主人と娘さんに全校朝会に参加してほしいとお願いをしました。
 当日の朝、いつものように校長先生のお話と言われた時に、「皆さんがお世話になったあのひまわりおばさんが旅立たれました。今日はどうしても皆さんへ伝えたいことがあるので、ご主人と娘さんに来ていただきました。」と話しました。
 体育館の扉が開かれると、お二人が深々と頭を下げられました。娘さんの胸にはひまわりおばさんの笑顔の遺影が、ご主人の胸には、白い布で包まれたご遺骨を納めた箱がしっかりと抱かれていました。お二人は体育館の祭壇まで進まれ、遺影とご遺骨が祭壇に納められました。水を打ったような静寂の中、ご主人が「今日は有難うございます。旅立った妻の代わりに皆さんに一言だけ伝えに参りました。ひまわりおばさんは、皆さんが大好きでした。本当に大好きでした。みんながいい子で成長して、人の役に立てる人になることを願い見守っています。がんばってね!と、それが最後の遺言でした」と。
 わずか5分程度のセレモニーでしたが、私にはひまわりおばさんの「先生ありがとうね」という声が聞こえたように思えました。身近にお世話になっている方の死を知らせ、学ばせることこそが、私が校長としてすべきことであると思ったからです。それをお願いに行ってから、ちょうど1か月後の出来事でした。

(『がんばる先生奮闘記』より)