「がんばれ!新任教頭先生」 ~がんばる先生奮闘記~

 あれは小学校の教師になって3年目を迎えたときでした。誰も持ち手がいない学級の担任の指名を受け楽しい日々がスタートしました。
 前担任は、ストレスのために退職していました。確かに、かなりのメンバーが揃っていました。全校集会で担任発表があった時の反応は気になりましたが、オーっと歓声が上がったのには驚きと不安と期待と喜びとが入り混じったことを覚えています。
 早速、教室へ行くと、ほうきをバットにして雑巾を丸めて野球をしていました。すでにほうきが一本折れていました。足を組んで机に乗せている者やイヤホンをつけている者など、別世界が広がっていました。
 これは「面白そうだ」と、久々に腹を据えて掛かれるドキドキ感が沸き上がってきました。何故かといえば、目は素直な者ばかりであったからです。人を外見や言葉遣いや態度で見るのではなく、目で見る習慣が私にはありました。それは、災害復旧の専門官から物作りよりも人づくりが大切と考え、一念発起して夜学と通信教育で教師になったために、相手は土木労働者や災害現場の人だったので多少の事では驚かない自信はありましたが、この現状は確かに想定を超えていました。
 早速、恐喝事件が起きました。隣の中学校の生徒を私のクラスの3名の児童が恐喝をしたのです。それもかなりの金額を巻き上げていました。中学校から電話入り人物が特定されて、校長室に私ともども呼び出されました。ところが、この3人は平然とし、やったことを認めながら簡単に謝るのです。明らかに反省をしているふりでした。
 聞くと様々な問題を起こす常習犯で、親は高校の校長はじめほとんどが教育関係者でした。人の子はうまく育てられても、自分の子はうまくいかないものです。これは後日、自分も痛感することになりました。
 今ではたいへんなことですが、校長室前の廊下に全員が正座をさせられました。勿論、私も自ら正座をしたのです。すると、「O先生は何も悪くないのに、なんで正座をするんですか?」と珍しく敬語で聞いてきたのです。「担任というものは、そうゆうものなんだよ」と答えたのです。足のしびれがピークに達した頃、顔を見合わせて苦笑いをしたことを思い出します。
 その後、この3名が従順な舎弟になったのです。学級もみるみる変わり、サッカーの市内大会でも優勝するなど、陸上大会でも準優勝になるなど、持ち前の能力を発揮したのです。その勢いは今でも伝説になっています。卒業アルバムの将来の夢に「僕は、O先生のような先生になりたい」と書いていました。やがてこの3名が本当に教師になった事には驚きと責任を感じました。仲人もすることになりました。
 同窓会の時に、あの校長室前で正座したことが話題になりました。「何で、あの時から態度が急変したのか?」と率直に聞いてみたのです。すると「あの頃は、すべて否定されて、周りが敵に見えていて、正座してくれた先生だけが理解者だ。やっと会えたと、思ったんです。本当にうれしかったんです。」と。目に涙を溜めて伝えてくれたのです。その彼は、今年、県下最年少の中学校の教頭先生に抜擢されました。それも荒れる学校での立て直しには、欠かせない教師であることが県下に広く認められたからです。それは当然と、私は身をもって分かっています。がんばれ!新任教頭先生!愛すべき教え子たちよ!

(『がんばる先生奮闘記』より)