受け継ごう「心の遺産」 ~ 道徳授業で使えるエピソード~

古くさいと思われがちな歳時や風習ですが、どのような意味があるのでしょうか?
今回は、家庭の役割として大切な「生活文化の継承」について考えてみたいと思います。

■いっしょうもち

東京近郊に住む池島隆さんの長女・綾香ちゃんは、まもなく1歳の誕生日を迎えます。誕生会は誕生日に近い日曜日に行うことにしていましたが、実家の母親から電話があり、その日に綾香ちゃんのお祝いに行き、「いっしょうもち」をするというのです。
隆さんの実家では、子供が1歳の誕生日に、1升のもち米をついて足の形に似せたお餅をつくり、それを子供に背負わせる風習があります。それを「いっしょうもち」と呼んでいました。「一升餅」と「一生持ち」の言葉をかけたものだそうで、一生、食べ物に困らないように、という親の思いが込められていると、隆さんは子供のころに聞かされていました。
隆さんの実家から、今住んでいる家までは、バスと電車、それに新幹線を乗り継いで、片道で5時間かかります。しかも、母親は日曜日の前後は用事があるため、日帰りで来るというのです。隆さんにしてみると、
“古いしきたりにこだわって、わざわざ遠くから出かけて来ることはないのに。こちらにだって都合があるんだから”
というのが正直な気持ちでした。

■親の身勝手?

その日、母親がやってきたのは、ちょうどお昼ごろでした。2時には帰るからといって、奥さんの和子さんの手料理をゆっくり味わうひまもなく、食事を済ますと、さっそく「いっしょうもち」の準備に取りかかりました。
母親は、旅行かばんから楕円形に近い大きな紅白のお餅を取り出すと、一旦、神棚にお供えしたあと、持ってきた風呂敷に包んで綾香ちゃんに背負わせました。
2、3歩くのがやっとの綾香ちゃんは、お餅の重さに耐えかねて、ふらふらとしりもちをついてしまいました。そんな綾香ちゃんの愛らしい姿を見て、母親も和子さんも声をあげて笑いました。
しかし、隆さんの心中はいささか穏やかではありません。母親の言動が身勝手に思えてしかたがなかったからです。
母親を最寄りの駅まで送る車中、隆さんは母親に向かって言いました。
「こんなにあわただしいのなら、無理して来ることはないよ。お金も時間もかかるんだから」
「そりゃ、そうだけど……。お父さんが生きていたら、きっとそうしてやれと言うと思ってね」
「“いっしょうもち”をやって、どうなるっていうのさ。僕の知り合いなんか、だれも知らないよ。そんなことをして子どもが幸せになるんだったら、こんな楽なことはないよ」
「……親の気持ちだよ」
「そんなの身勝手だよ!」
駅に到着したものの、いつもなら改札口まで見送る隆さんなのに、このときは車から母親を降ろすと、「それじゃあ!」といって、そのまま走り去ってしまいました。
ふと、バックミラーをのぞくと、母親は、ほほ笑んで小さく手を振っていました。

■風習に込められた祈り

「いっしょうもち」は、「餅かるわせ」とも呼ばれ、子供が立ち歩きを始める1歳の誕生日に行います。ワラジをはかせて餅を踏ませる地方もあります。
これまで生かされてきたことへの感謝と、これからもすこやかに、また一生、食べ物に困らないようにという祈りを込めて行われてきたものでした。
子供のすこやかな成長は、親の切実な願いです。それを子供の成育の区切りごとに儀礼として表したものが、今日もなお生活に密着したさまざまな形、つまり生活文化として継承されてきているのです。
日本の社会の底流には、社会全体で子供の成長を祈り、無事にはぐくむという、私たちの先人の長い伝統というものがあり、それが風俗や儀礼となって今日にも名残をとどめているのです。
(参考・『伝統文化の心―歳時・習俗に学ぶ』生方徹夫著)

■母親の思いにふれる

家では、和子さんが隆さんの帰りを待っていました。
「お帰りなさい。せっかくだからお餅をいただこうと思うの。お母さん、重かったでしょうね。2キロくらいあるんじゃないかしら。それに、綾香のお祝い物よ。まだあるのよ。あなたの好物の佃煮。これは畑で採れたナスですって!」
“知らなかった。お餅だけでも重いのに、ほかにもこんなにたくさん……どんなに重かったことだろう。そんなこと考えてもみなかった。母さんにとっては、それほどまでして「いっしょうもち」をする意味があったんだ。それを「身勝手」だなんて……”
「親の気持ちだよ」「お父さんが生きていたら、きっとそうしろと言うよ」という母親の言葉が、繰り返し思い出されてきてしかたがありませんでした。
“親って、親の願いって、こういうものなんだ……”
隆さんは、はるばる片道5時間をかけてやってきてくれた母親の愛情と、亡き父親の思いに触れたのでした。

■失ったものを取り戻そう

今日の日本は、先人・先輩のたいへんな努力によって、物の豊かな国になりました。しかし一方で、これほどかけがえのない親と子の関係を、いとも簡単に断ち切ってしまうような悲惨な出来事が起こっています。豊かさを得て失ったものの大きさを、あらためて感じないではいられません。
失いつつあるものの1つに、「文化の継承」があげられます。たとえば、長い歴史を経て、私たちの家庭生活の中に根づいてきた風習や儀礼などの年中行事は、古めかしいもの、形式だけで意味がないもの、というように受けとめられ、次第に継承されなくなってきています。
しかし、それらの多くには、「親と子のきずなを深めていくこと」「自然とのつながりに気づき、感謝すること」「地域とのつながりを大切にすること」など、先人のよき生き方や感じ方が表れています。
文化は、先人が後世に遺した、目には見えない「心の遺産」です。今に生きる大人が、この「心の遺産」を忘れてしまっている、つまり「文化の喪失」が、子供たちの心の成長にさまざまな影響を与えているといってもよいでしょう。
親の生き方は、日々の家庭生活の中で知らず知らずに継承されていきます。それが家庭の文化といわれるものでしょう。身近にある、よき伝統文化にもっと目を向けて、先人や先輩の心を汲みとっていくことが大切なことではないでしょうか。

(『ニューモラル』398号)

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