受け継ごう「思いやりの心」 ~道徳授業で使えるエピソード~


現在、日本の文化や産業、サービスは、世界のさまざまな国から高い評価を受けています。しかし、それは品質や技術の水準に対する評価だけでなく、日本ならではの「相手を思う心」も含まれてこそのものではないでしょうか。
今月は、日本人が大切に受け継いできた「日本の心」について考えます。

 

■初めての折り紙体験

「ワォ! これなあに?」
「鶴よ、鳥だよ。ここが頭で、左右に開いているのが羽よ」
「すごい!!」
5歳の男の子の問いかけに、自信たっぷりに英語で答える優奈さん。これは優奈さんが高校2年の夏、イギリスに短期留学した際にホームステイ先の子供と交わした会話です。
一緒にかくれんぼをして打ち解けた後、「日本からのおみやげよ」と言って折り紙を渡すと、それが何か分からなかった男の子は、すぐさま裏返してお絵描きを始めようとしました。
優奈さんは慌てて、日本ではよく子供たちが折り紙をして遊ぶこと、紙でいろいろな形や生き物を折ってつくれることなどを説明しながら、鶴を折って見せたのです。男の子は鶴を受け取ると、目を丸くして喜んだのでした。

帰国した優奈さんからこの話を聞いた父親の雄一さん(48歳)は、「折り紙の文化はヨーロッパにもあるそうだけど、鶴や兜などの日本の折り紙を見せると、外国の人たちからは喜ばれるんだってね」と話します。
「そうみたい。折り紙で鶴のほかにもいろいろなものがつくれると言ったら、とても驚いていたわ」
「日本の折り紙はよくできているからね。その子は初めて見たんだろうね」
「うん、そうだと思う。だから折り方を教えても、最初はうまく折れなかったんだけど、ゆっくりやって見せたら、なんとかできるようになったの。すごくうれしそうだったな」
優奈さんは、日本の折り紙を見て喜んだ男の子のことを思い出しながら〝もっと日本の文化が知られていくといいな〟と思うのでした。

 

■心を込めて折る

この親子の会話にあるように、折り紙は日本だけの文化とは言い切れません。とはいえ、一枚の紙から美しい花やかわいい動物などを折る、繊細で多様な“日本の折り紙”は、私たち日本人の間で着実に受け継がれてきた文化であるといえるでしょう。
そもそも日本には、古くから紙を折りたたんで物を包むという習慣があります。お祝いを包む祝儀袋や季節の贈答品に添えられる熨斗もその一つで、「折形」といわれます。それらは、贈る人が心を込めて折り、贈られた人が心を躍らせて開くということを繰り返す中で洗練されてきたのでしょう。
角と角をきちんとそろえて折り重ね、秩序正しく一つの形をつくり上げていく日本の折り紙。そこには「折形」と同様に、折る人の心が込められているのではないでしょうか。例えば、贈る相手の健康や活躍を祈ってつくる千羽鶴は、その一つといえます。 心を込めて折る文化は、折り紙にもしっかりと息づいているのです。
近年、「クール・ジャパン」(「かっこいい日本」「感じがいい日本」などの意)と言い、日本の文化や産業、サービスなどが海外から高く評価されています。それは先進的な高い技術も理由として挙げられるでしょうが、日本ならではの「心」や「気づかい」も、評価の背景にあるのでしょう。
海外からの日本に対する評価……その根底にあるものは、いったいどのようなものでしょうか。

 

■親切な日本人

現在、月刊誌『れいろう』(モラロジー研究所刊)で連載漫画を監修しているルース・ジャーマン・白石さんが、約25年前の秋、アメリカ・ボストンの大学から日本へ留学したときの出来事です。
夜の9時過ぎに日本に着いたルースさんは、空港から外に出たものの、予約したホテルまでの行き方が分からず、困っていました。折からの冷たい夜風が、気持ちをいっそう不安にさせます。それでも誰かとコミュニケーションをとらないことにはどうにもならないと考えたルースさんは、そばにいた日本人女性に、知っている日本語で話しかけてみました。
「今、何時ですか?」
「9時10分ですよ。……ご出身はどちらですか?」
女性は親しみを込めて会話を続けてくれたのでしょうが、ルースさんには相手が何を言ったのか聞き取れません。困った表情を浮かべていると、女性は「一緒にホテルまで行きましょう」と、タクシーに同乗するよう勧めてくれました。
温かい車内、親切な人に出会えた安心感からか、ルースさんはうとうとと眠ってしまいました。
その間に、女性はルースさんが泊まる予定のホテルに連絡をしてくれたり、さらにはホテルに到着すると、フロントまで一緒に来て宿泊の確認をしてくれたりしました。
別れ際、ルースさんがお礼を述べてタクシー代を払おうとすると、女性は「お気になさらないでください」と言って、お金を受け取らずに帰っていきました。
この振る舞いが、ルースさんの心に「親切な日本人」という印象を刻んだのは、言うまでもありません(参考=『日本人が世界に誇れる33のこと』あさ出版)。

こうした出来事は、しばしば起こることではないかもしれません。しかし日常を見渡すと、ささやかかもしれませんが、私たちは相手の気持ちを配慮したり、受け入れたりしながら、さまざまに思いやりの心を働かせています。
玄関で靴が乱れていたらそっとそろえる、バスでお年寄りや妊婦が立ったままでいたら席を譲る……。こうしたことを、私たち日本人はことさら周囲に誇ることなく自然に行っているのではないでしょうか。

 

■恩を知り、感謝し、報いる

私たち日本人は、例えば自分の最近の様子を尋ねられたときなどに、「おかげさまで……」という言葉を添えて返すことがあります。「おかげ」とは神仏の助け、加護、または人から受けた恩恵、力添えを表す言葉です。つまり、周囲の存在、またはすでに亡くなった人々や自然に対して、こうした言葉を使ってきたのです。
私たちは祖先や親、先輩や友人など、多くの人々の恩を受けて、今、ここにいます。そこには私たちを助け、支え、育てようとする温かな思いがあります。その恩を通して、自分が本当に大切にされていることを理解すると、私たちは生きていく力を得ることができます。 そして、さらにその恩に感謝し、これに報いようとする心から、私たちは他者への思いやりの心を育んでいるのです。
一人ひとりが周囲への感謝の心を忘れず、思いやりに満ちた豊かな社会を築いていきたいものです。

(『ニューモラル』528号より)

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