なぜ陰徳が必要か ~朝礼で使えるエピソード~

佐藤和彦さん(66歳)はこの春、大手電機メーカーを定年退職しました。事業部長まで務め、ずっと仕事一筋だった佐藤さん。お世話になった社会に恩返しをしたい。そう漫然と思っていたある日、町内会の行事があり、意欲を語ると“それじゃあ”とその場で役員就任が決まりました。佐藤さんはこれまで町内会に貢献してこなかった負い目と今後の立場を考え、思い切って寄付をすることにしました。
町内会側は、佐藤さんの寄付を予定されている集会所の建設費用に充当することを決定。半年後、集会所は完成、落成式が華々しく開かれました。自分の寄付額が一番と知っていた佐藤さんは、自分の名前が賞賛とともに読み上げられることを期待していました。しかし当日、名前は呼ばれず、配布資料の寄付者一覧に名前があったものの、額も記されず、扱いも他の人と同じでした。「なんだ。虎の子の退職金を削って、あんなにも寄付したのに」。この一件が尾を引いて、町内会活動への熱は急激に冷めていってしまいました。
そんなある日、退職仲間との懇親会に出席した佐藤さんは、同じく町内会活動を始めたという元同僚に、思いをぶちまけました。話を聞き終えた元同僚はこう返しました。
「それは佐藤のエゴだよ。町内会活動は、表に見えなくとも、いろんな地域の縁の下の力持ちがあってこそ成り立っているんだ。寄付したのは偉いが、あくまでそれは陰徳としてやったと割り切る必要があったんじゃないか」
「陰徳?」。佐藤さんは納得いかない表情です。
佐藤さんはどのように考えたら、不満から脱することができるのでしょうか?

 

◆Step1 陰徳あれば必ず陽報あり

 

陰徳と陽徳の違いとは ―― どんな心で善行をしていますか

なぜ、陰徳は必要なのでしょうか。
陰徳の「陰」は「陽の当たらない」「人目につかない」との意味を示し、「徳」は「立派な善行」を意味します。つまり陰徳とは、他人に知られないような善行のこと。喩(たと)えるなら、自分にしかわからない“耳鳴り”のようなものだと、7世紀後半の中国古典『北史』は説いています。一方で、よく人に知られるようになる善行を「陽徳」と言います。
例えば、歩道にゴミを見つけた場合。このゴミを拾い、歩道をきれいにするのは善い行いです。ただし同じ拾うにしても、自分をよく見せたいとの打算的考えから、あえて周囲の人の目につくよう、わざとらしく拾ったのなら、これはスタンドプレーであり、陰徳とはいえません。誰かが見てくれていることを期待せず、得意がりもせず、ただ黙々と善行を果たすことが「陰徳」なのです。「人は善行を果たすことなく善行を口にし、悪事を口にすることなく悪事を働く」(ドイツの諺〔ことわざ〕)。モラルなき社会といわれる今こそ、家庭で地域で職場で、陰徳の実践が求められているといえるでしょう。
「陰徳あれば必ず陽報あり」。他人は一切知らない隠れた善行でも、地道に実行を重ねれば、将来必ずや報われる。中国漢代の『淮南子(えなんじ)』はそう教えています。

 

◆Step2 見返りを求めない善行を

 

不満は期待から生まれる ―― 竹中半兵衛あえて誓文を焼く

豊臣秀吉の名軍師・竹中半兵衛と黒田官兵衛にまつわる話です。ある日、半兵衛を訪ねた官兵衛がこう言った。「殿は昔、自分が出世したら領地を与えると誓文も書かれたが、今も約束を果たされない。不愉快なことよ」。聞いていた半兵衛は「その誓文を見たい」とだけ言い、官兵衛が差し出すや「お前の不平不満は、この誓文があるから起こるのだ」といって、それを破いて火鉢にくべてしまった。官兵衛は自分の非を察し、その後は忠勤に励んだとのことです。
この話は、人間の不平不満が、欲や期待心から生まれることを教えています。
最初は、世話になった方々へ感謝の気持ちを伝えるためにハガキを書いていたが、やがて相手から返信が来ないことに不満が募り、書くことをやめてしまった人がいます。見返りがなければ、善いことはしない。これはギブアンドテイクの考え方です。陰徳はギブアンドギブ。努力して要求しない心です。では善い行いをしても自分に得るものが全くないのかというと、実はそうではありません。形の見返りはなくとも、あなたの心には着実に豊かな品性の種が芽生え、その種がやがて人生に幸福の花を咲かせるのです。

 

◆Step3 己に薄く他に厚く

 

徳を天の御蔵に貯えよ ―― 「米屋」の創業者、諸岡長蔵氏の陰徳実行

千葉県成田市にある羊羹(ようかん)の老舗「米屋(よねや)」の創業者である諸岡長蔵(もろおかちょうぞう)氏は、生涯私財を蓄えず、地元発展のために、名を伏せて多額の寄付をしたといわれています。この諸岡氏の信条が「己れに薄く他に厚くし、苟(いや)しくも余力あらば歓喜して大いに善種(社会福祉のために尽くすこと)を植え、以(もっ)て徳を天の御蔵に貯えよ。これ実に人生の使命にて亦(また)子孫繁栄の道なり」というものでした。
人に知られずとも、天にあるであろう貯蔵庫に徳を積むつもりでやろう。この考えが、諸岡氏の生涯にわたる陰徳実行を支えたのです。
相手が目の前にいるかどうか、相手が誰であるかで態度を変える人は「裏表がある人」と見られ、信用を得られません。逆にいつも態度の変わらない人は「誠実な人」として確実な信用を得るものです。前者が人を見て自分の行動を決めているのに対し、後者はあくまで自分の良心を基準とするという大きな違いがあります。この良心を育てるのが陰徳の実行です。
「お天道様(てんとさま)が見ているよ」。昔の日本人はこう言って、自分一人でいるときも心を律したものでした。今日一日を振り返り、あなたはどれくらい貯徳ができたでしょうか。静かに振り返る習慣をつけたいものです。

 

◆Step4 「自分も何かのお役に立てるように」という気持ちを

 

私たちはさまざまな恩恵を「先にいただいている」

私たちは日々、さまざまな支えを受けて生活しています。日常当たり前のように使っている電気・水道・交通・通信などのサービスも、その技術を開発した多くの先人の苦労の上に、現在の供給を支えてくれる人たちの努力があってこそ、便利で快適な生活が保たれているといえます。そうしたことを一つ一つ考えていくと、私たちは日ごろからたくさんの物事を「先にいただいている」といえるのではないでしょうか。
そうであるならば、私たちは自分自身がいただいている「恩恵」を自覚して、感謝の心とともに「自分も何かのお役に立てるように」という気持ちを持ちたいものです。
見返りを求めることなく、周囲のため、誰かのために善いことを少しずつ行っていく――。そうした利他の心、謙虚な心が自分自身の人生を豊かにすることにもつながっていくのです。
(『道経塾』No.54、『ニューモラル』No.540より)

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